あの日

 

10年前のあの日、私は年金事務所の契約職員で、奥の印刷室にこもって仕事をしていました。印刷機がフル稼働していて騒音が酷く、また奥まった小さい部屋でほぼ個室状態になっていたため、お客様相談室の待合コーナーにあるテレビの音などは聞こえませんでした。もちろん、遠く離れた広島の地では揺れもなく。

仕事をひと段落終えて給湯室に向かう途中、お客様相談室の室長がテレビを指さしながら「すごい揺れとった」「ああ、東京のスタジオも揺れとる」と騒ぐのを聞いて、やっと何か大変な事が起きたのだという事を知りました。

けれどテレビをじっくり見る時間もなく、まだ残った作業に取り掛かるために給湯室で軽く休憩し、すぐにまた印刷室に戻ったため、どこか他人事のように感じていました。

電車が来ない・・・

少し実感らしきものが湧いたのは、帰りの電車を待っている時です。(※この頃は一時的に不安障害が回復傾向であり、電車には乗れていました)なかなか電車が来ません。地震は東北で起こったのであって、関東地方よりこちらの沿線は影響ないはずだと思ったのですが、新幹線はともかく、在来線も遅れていました。
そしてその遅れのためにすし詰め状態になって電車に乗って帰ったのですが、家に帰ってテレビで見て、やっと本当の事の大きさを実感し始めました。

映画を見ているよう

津波の映像が流れた時、私も父も同じ事を言いました。
「CGじゃなかろうか・・・」
「これが、現実に起きた事なのか・・・」
高台に逃げのびた方の悲鳴らしき声もリアルに流れました。それでもやっぱり「映画を見てるみたい」という気持ちは拭えません。

ただ何となく、この映像をじっと見続けてはいけない、と心のどこかで自分自身への警鐘が響きました。私は人の感情に移入しやすく、流されやすい。悲しい感情には特に引っ張られやすい。このまま見ていたら、自分の心がダメになる・・・
そう思い、父が食卓でテレビを見ていても、私は見て見ぬフリをしていました。

薄情者と言われても

あの日は金曜日だったと記憶しております。年金事務所は土日がお休み。

テレビでなるべく震災・津波の映像を避けていた私は、土日は録り溜めしていたビデオを見る事に専念していました。

心配だったのは、職場の昼休憩。
女性は何となく、義務ではないのですが休憩室に集まり、休憩室のテレビを見ながら、おしゃべりをしつつ食事を採るのが慣例化しています。
テレビはもちろん、あの映像を流し続けるでしょう。
そして話題は当然、震災と津波の話題でしょう。

せっかくのお休みなのに、土日の間はずっと月曜日以降の昼休憩をどうやって乗り切るか、考えていました。

悩んだ末に出した決断は「自分の机で食べる」というもの。待合コーナーのテレビは遠いし、男性職員さんは自分の机で食べてますが、男性職員さんは用もないのに話しかけて来る事はありません。ただカウンターに近いので、窓口の人が居ない場合は私がお客様に呼ばれる可能性はありますが、休憩室の苦痛から比べたら数段マシと判断しました。

もちろんお昼ご飯に声を掛けてくれた隣の席の女性は訝しんだかもしれません。が、この方には私の特性を詳しく説明しており、こそっと「あの報道や話題で、自分の精神が病むのを防ぐためだから」と言うと「分かった。ゆっくり食べてね」と、お許しを頂きました。


ボランティアとして

私の同級生は過去、お姉さんが神戸にいて阪神淡路大震災に遭い、お姉さんを目の前で亡くすという経験をした事があります。それ以来その同級生は夜1人で眠れなくなったため、お父さんやお母さんが交代で寝ずの番をして付き添っていましたが、お2人だけだときつそうなので、我が家に泊めたりなどもしていました。

そしてその同級生のお姉さんの家を片付けるためにも・・・という目的もあり、災害ボランティアに参加していました。

東北大震災の時も、ボランティアで行くべきかどうか迷っていましたが、丁度年金機構の派遣応援の要請があり、そちらで現地へ向かう事になりました。
ただ私たちの事務所が応援に行く期間は、他の事務所が行った後で広島県内では1番最後でした。先に行った他所の事務所の方にお話を聞いてみたのですが「思ったよりひどい」「現状では相談が先に進まない」「身元を保証するものがない人が多いから、色んな手続きが進まなくてお怒りを受ける覚悟をした方が良い」という事でした。

電力・ネットワークがダウンしているため、年金情報が引き出せず、他所のネットワークで照会しようと思ったら年金番号が分かる年金手帳や、身元証明書が必要です。が、着の身着のままで逃げて来た方にそんな物があるはずがありません。
紙ベースの情報処理は時代遅れだとバカにされる事もありますが、こういう時はごく一部、流されずに残った紙ベースの情報がある方がスムーズに手続きが済んだのです。

私たちは「怒られる」覚悟で行きました。

励ましてくれた人

かくして私たちの事務所の応援派遣は、石巻事務所へ向かいました。事務所と言っても庁舎は津波で流されたので、避難所に設けられた仮設テントです。
ただの契約職員にすぎない私の仕事は、まず市民の方と一番最初に接する「どんな手続きがしたいのか」を聞き出す、いわばコンセルジュ役。泣かれたり、怒られたりするんだろうな・・と覚悟を決めてました。

ですが、意外にも「どこから来たの❓」「広島かぁ・・・こっちは寒いでしょう」「よく来てくれたね」と、温かい励ましの言葉を頂く事が多く、正直戸惑いました。
もちろん災害ボランティアで行った神戸でも、似たような事はたくさんありました。が、神戸ではほとんどの人が呆然としていて、私たちは黙々と片づけをする・・・という感じだったので、被災者がこんなにも語ってくれるのは初めての経験だったのです。

ただ温かい気持ちになりながらも、痛さも感じました。
表ではこんなに励ましてくれているけど、裏ではどうだろうか?無理矢理笑顔を作ってはいないだろうか?私たちは1週間しか居られない・・・去る時、どんな気持ちになるだろうか?こんな状態で、置き去りにして・・・怒るだろうか?悲しむだろうか?それともまた、無理して笑ってしまうのだろうか?

私たちが帰った後も、あの方々の避難生活は続いていく訳で、そこに関われない自分は果たして、本当に助けているんだろうか・・・

自分は、何1つ片付かない状況で帰って、果たして日常に戻れるだろうか・・・・・

スーパーボランティア

そんな事を考えていた時、一時テレビで話題になったスーパーボランティアの小畑さんに出会いました。もしかしたら彼は私の事など覚えていないかもしれませんが^^;実は初対面ではなく、神戸の時もすれ違っていますw
その時、とても大事な言葉を教わりました。
「当事者の気持ちは当事者にしか分からない」
「分かった気になって踏み入ってはならない」
「ボランティアに、感情は要らない」

ごく冷淡な言葉に思えるかもしれません。でも感情移入してボランティアの仕事が出来ないようでは、それは支援ではなくなります。また勝手に当事者の気持ちを代弁したり、勝手に経験した気持ちになる事は、当事者への侮辱です。

それ以降、私は温かい言葉をもらった時の感謝の気持ち以外の感情は捨て、また自分が帰った後の事を考えるのは止めました。私だけでなく、ボランティアはたくさんいる、その人たちに任せるしかない、と。

災害支援とは

西日本豪雨も経験して思ったことですが、被災地の方は決して無理をしてまで、支援して欲しいとは思っていません。出来る人が、出来る時に、出来る範囲の事をすれば良いのです。

自分には何も出来ないと思っている方にも、実は出来る事はあります。まず祈ること。日時や場所は問いません。思い出した時で良いと思います。そして日常生活が送れる方は、日常生活を送る事も支援だと思います。


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