「OMORI」というゲームをやってみた。

 

ある日、友人から「ひきこもり系ホラーRPGとして、評判が高いOMORI(オモリ)っていうゲームがあるんだよ。きっとかっしーに向いてると思うから、やってみない?」と勧められました。

正直ホラーは苦手です。
小さい頃、遊園地のお化け屋敷で置き去りにされてから、トラウマレベルに。

ですが「ひきこもり」という謳い文句に妙に惹かれました。
ただ何となく思っていたのは「どうせ主人公がひきこもりで、でも仲間がいて、仲間のおかげでひきこもりを卒業する物語なんだろう」と安易に見ていました。
でも配信サイト・Steamで見たレビューは、ほとんど「ひきこもり」には触れておらず「レビューを見ずにやってみて欲しい」というのが圧倒的でした。


Steamからダウンロードして、恐る恐る起動させました。すると・・・

絵が、可愛すぎる・・・

ご覧の通り、絵がソフトタッチで柔らかく、とても可愛らしいのです。手描き風でシンプルながらも、どこか温かさを感じる。オモリだけ何故かモノクロなのですが、それもまた味になっているなと思いました。

この絵でどう「ホラー」な部分が展開していくのだろうか・・・?
そんな風にドキドキしていたら、いきなり来たのがホワイトスペースでの「刺す」という選択肢。

そしてやって来る、現実の世界。そこでやっと「ひきこもり」らしいサニーの世界が始まりました。

いきなりの「死」

私は初回、ケルが来た時に扉を開け、サニールートを選択しました。
そして現実パートが始まって直後、ハッキリ告げられた訳ではありませんが、町の人やケルの発言などから「姉・マリの死」を知ります。しかもそれからもう4年も経っているというのです。

そして1番ビックリしたのは、オーブリーちゃんがヤンキー化していたことでしょうかw
あ、ちなみに恥ずかしながら、私のサニーの名前は「かっしー」にしました^^;理由は「ひきこもっているから」「目が眠そうな所が似ているから」ですw

そしてオモリサイドでは人懐っこかったバジルくんは、何があったのか心配するくらい、ケルはともかくかっしーにまでビクビク・・・。
かっしーが3日後に引っ越すと聞き、動揺してトイレへ・・・ここで私は何となく「バジルくんはマリの死に関わっている」と直感しました。

恐怖を超えた、先にあるもの

かっしー=オモリには苦手な物がたくさんあります。

  1. 1人ぼっち
  2. 高い所
  3. クモ
  4. 水

ひきこもってるのに、1人ぼっちが嫌ってなんだそりゃ?!と最初思いました。
そして終盤、これらは全てマリとの思い出に結び付くことが分かります。

  1. 1人ぼっち→姉・マリが死んで居なくなったため。
  2. 高い所→マリの死の真相に絡む。
  3. クモ→溺れる直前、肩に大きなクモが居たため。
  4. 水→湖で溺れ、ひざが悪いマリに助けてもらった。
かっしーはオモリの世界でみんなに応援されながら、この怖い物を1つ1つ乗り越えていきます。

バジルくん犯人説

物語を進めていくにつれ、マリの死因が「自殺(首吊り)」はおかしい・・と思い始めました。みんなから慕われ、勉強もでき、ヒロという素敵な彼氏もいる。弟とも仲良し。唯一「真面目過ぎる」という長所にもつながる短所はあったようですが、マリが自殺する要素が見当たらないのです。
最初「なんでも出来るマリだからこそ、周囲のプレッシャーに押しつぶされちゃったのかな・・・(´・ω・`)」と思いましたが、それにしては不自然。だとしたらもっとかっしーママは落ち込んでいそうなものなのに。
そんな疑問を抱えながらプレイしていくと、バジルくんがかっしーに「かっしーくん・・・もう・・・逃げようがないのかな?」と病床から訴えて来るシーンがありました。

パッと見には「オーブリーちゃんからのいじめから逃れたい」ように思えたのですが、でも相手がオーブリーちゃんであれば逃げる事は可能だろうとすぐに考え直しました。それこそ、かっしーのようにひきこもっていれば会うこともないし、町中に変な噂を広められても、耳に入ることもない。

もしかするとバジルくんは、マリの死に絡んでいて、そこには何らかの罪があり、その罪から「逃げようがない」=真相を隠せなくなっているのでは、と思いました。つまり、バジルくん犯人説です。そう考えると、いくらオーブリーちゃんから不当な扱いを受けていても我慢しているのも、かっしーが引っ越すと聞いて焦ったのもつじつまが合います。

ただもしそうだとすると、バジルくんがかっしーにやたらビクビクしている態度を取っていることについては説明がつかなくなります。
ただ私はこのバジルくんのセリフで「マリちゃんは自殺していない」と確信しました。

「死」と「罪」に向き合うゲーム

(※以下、ネタバレを含みます。未プレイでマリちゃんの死の真相を知りたくない方はブラウザバックを!)

物語の終盤、バジルくんは再びかっしーに意味深な問いかけをします。「(不気味な影が)君にも見えているんでしょ・・・?」と。
ここでバジルくんは、かっしーに怯えていたのではなく、かっしーの後ろに見えている影=なにかに怯えているのだと分かりました。
やがてバジルくんは、どんどん狂乱的になっていき、かっしーに「1人にしないで」と助けを求めながらも「きっと大丈夫」という矛盾したセリフを繰り返していきます。

ブラックスペースではこれでもか!というほど、救いようのないバジルくんの姿を見せつけられ・・・ここで私の中のバジルくん犯人説は保留になりました。
夢の中でバジルくんの写真を拾い集めていき、やがてマリちゃんの死の真相にたどり着きます。それは一番「あり得る」と頭の中のどこかで思っていたのに、「いや、さすがにそれは残酷すぎる」と打ち消していた「主人公犯人説」でした。

正確にはかっしーはマリちゃんと揉めた時、うっかり突き落としてしまっただけです。写真の中でかっしーはマリをベッドまで運び、そこでうずくまっています。おそらく「そこまでするつもりはなかった」のでしょう。ですがマリちゃんはひざが悪く、踏ん張る力がなかったため、落ちてしまった。

そしてそこに居合わせたバジルくん。私は当初、バジルくんがたまたまそこに居合わせて、写真を撮ってしまったから首吊りの偽装に脅されて付き合わされているのかと思いました。
ですがバジルくんは夢の中のあの木の下でかっしーに謝っていました。

バジルくんの写真をよく見ると、マリのベッドの横で落胆していたかっしーの肩をバジルがつかみ、何か言い聞かせているかのような1枚があります。
つまり、マリの転落死を首吊りに偽装する提案をしたのは、バジルくん。

では何故そうしたのか。
まずバジルくんにとってかっしーは大切な親友であり、憧れの存在でもありました。「憧れ」なのは、夢の中(ヘッドスペース)のオモリへのセリフからも読み取れる箇所がいくつかあります。
そして「後ろの影」の存在。

姉のマリちゃんを慕っており、強いはずのかっしーが、そんな事をするはずがない。こんな怖いことをさせてしまったのは、かっしーではなく、かっしーの後ろにいる影であり、かっしーは操られているだけなのだ。
だから今度は自分がかっしーを救う番だ。

おそらくそんな風に彼は思ったのでしょう。
そして偽装を提案し、2人でマリの遺体を運び、バジルくんは呆然としているかっしーに代わって、マリの首に縄をかけます。
でもそれが間違いでした。だから謝っていたのです。

写真の最後は、吊られたマリの遺体を振り返り、その遺体から一つ目の影=「なにか」が飛び出し、かっしーたちに付きまとうようになりました。
この「なにか」をバジルくんたちはマリからの呪いだと思い込み、その呪いによってバジルくんは「逃げられない」と悟ったのでしょう。

でもバジルくんは思わぬ事態に陥ります。
かっしーの引っ越しです。
自分はかっしーのために偽装をし、マリの首に縄をかけたのに。そんな自分を置いていくのか。それは裏切りとも取れたでしょう。

一方かっしーはオモリの存在により、マリの死に徐々に立ち向かうようになりました。自分の罪を受け入れ、ずっと逃げ場所になっていたオモリを自分の中に消しこみ、最後は仲間を信じて全てを打ち明ける決断をします。
本編では語られませんが、かっしーは決してマリが嫌いになって突き落とした訳ではありません。
バジルくんのアルバムで、花冠をみんなで作る場面があります。その中で「ケルくんとオモリ(かっしー)くんは飽きて遊びに行っちゃった」という風なメモがあります。つまりかっしーも結構飽きっぽい性格みたいで、おそらくバイオリンの練習にどこかで飽きたのでしょう。
でもマリは真面目で完璧主義。そういう所がますます負担になり、かっしーは友達がお金を出し合ってプレゼントしてくれた、大事なバイオリンを壊してしまう。それを見てますますマリもカッとなってしまい、かっしーを厳しく叱責してしまう。
どちらもお互いの、あるいは周りの期待に応えたいという気持ちがあり、それが上手くかみ合わないが故のいらだちによる行為だったと言えます。

綺麗じゃないエンディング

かくして私はTrueEndを迎えました。

パッと見にはかっしーは自分の弱さを乗り越え、自分の罪を認め、バジルくんも救い出し、仲間にも真実を打ち明け、めでたしめでたし。

ですが、おそらくそうではないと思われます。
まずヒロたちが「君はここまで頑張った」「俺たちを信じてくれ」と語るのは、夢の中の世界の話です。現実にはそう簡単にマリの死の真相を受け入れることは出来ないでしょう。
ケルはある程度の所で「かっしーは悪くない」と受け入れそうな気はします。が、オーブリーちゃんとヒロくんは、きっとまた悩むでしょうね。

そしてバジルくん。彼もまた、信頼しているかっしーに「仲間をだまし続けた」という罪をも被せることになってしまい、罪の意識が消えることはないと思われます。

ここで私が気になったのは、かっしーの両親はどうなんだろう?という所。本編ではママが声だけで登場、お父さんと思わしき人物は夢の中の世界でマリが首吊りした木を「何故落ちないの・・・」とブツブツ繰り返しているシーンで出て来ます。
具体的に触れられた部分はないので、ここからは完全な私の推測ですが、おそらく両親は息子の罪を知っていたと思われます。かっしーパパはそれが理由で離婚もしくは家を出ている。ママはかっしーまでも失いたくがないために、過剰なまでに「愛してるよ」などのメッセージを頻繁に送っていたのかと思います。

ですが、かっしーが仲間に真相を打ち明けたことにより、両親もまた再び苦しむことになるのでしょう。

先を考えるとすごく苦しくて、決して綺麗じゃないエンディングでした。
でも綺麗ではない所が逆にリアリティがあり、人間の汚さとかずるさなども決して置き去りにしない、素晴らしいゲームだとも思わされました。
◆◇◆

病院に騙された・・・?

 更年期障害で産婦人科に通っています。

更年期障害は本当に色んな症状が日替わりで出たり、人によっては全く無症状で終わったりします。私もついに先日、めまいまで起こしてほぼ代表的な症例をフルコンプしてしまいました😅

エクオールが良いと聞き・・・。

前々から「更年期障害には、大豆イソフラボンから抽出したエクオールが良い」という噂は聞いていました。ただ今まではそこまで酷い症状はなかったので「ふーん、まぁ私には今の所そこまで必要じゃないかなぁ・・・」という感じで聞き流していました。

ですがこうなると、やはり少しでも効くなら頼りたい‼という気持ちになりまして。
この時私は家事をするのもしんどくて、母の所に居たのですが、外出も頭がフラフラしてしんどい状態が続いていたので、母に近くの薬局で小林製薬のエクオールを買って来てもらいました。

小林製薬というと、あの商品名が色々面白い製薬会社ですねw
でも今回の事で「命の母」の会社だと初めて知りました😲
製薬会社はよく知らない人でも「命の母」と言えば分かる人も多いのではないでしょうか。
その「命の母」は私も時々服用しています。飲んでて今まで変な症状が出た事はないですし、漢方薬や生薬を中心としているので、信頼おけるブランドだと思います✨

なので、私も最初は「命の母のエクオールを買って来て」と指定しました。

病院処方がある・・・❓

しばらくして地元に戻り、そこで一応大丈夫だとは思うのですが、エクオールの袋を持ってかかりつけの産婦人科医に「このエクオールを他の薬と一緒に飲んでも大丈夫か❓」という確認を取りました。もちろん私はリーゼ以外は当帰芍薬散と、エストラーナテープ(ホルモン補充パッチ)しかないので、OKとの事でした。

が、私が持っているエクオールを見た看護師さんが「うちでも取り扱いがありますよ」「市販薬は効果が薄いけど、病院処方のものはすごく効きます」「病院処方だから、保険適用ですし、安く済みますよ」と言われ・・・そうだったのか‼ならそっちにすれば良かったー💦となりました。
でも命の母のエクオールも買ったばかりで、もったいないので30日分飲みきったら、次は病院処方をお願いしますと伝えて帰りました。

現実は・・・

そしてしばらくすぎて、命の母のエクオールがなくなって来たし、エストラーナテープも切れそうだったので、産婦人科に行きました。

で、先生とお話をして院内処方で出してもらえる事に・・・と思ったら、私に院内処方のエクオールがあると教えてくれた看護師さんが小走りでやって来て「すみません、これ、一般業者の物を病院で扱ってるだけなので、ちょっと高額になるんですけど・・・」と。
「命の母の方は、何日分でお値段はどのくらいでしたか❓」と聞かれたのですが、私は正直値段は正確には把握してなかったのですが「30日分で2000円くらいだと思います」と伝えたら「う~ん・・・うちのは同じ30日分で4000円くらいかかるんですけど、ただ一般の薬よりは効果あると思うので・・・」

は・・・❓よ、よんせんえん・・・・❓❓

うん、いや、当然聞いてません。
でもその時、すごく体調も良くなかったし、迷いました。看護師さんがそこまで良いだろうと推すのなら、手持ちに4000円なくもないので、とりあえず30日試してみるべきか・・・。

結局、お試しでも出してもらう事にしました。

キツイっすよ💦

翌日から、まだ少し残っていた命の母のエクオールは一旦中断しました。何故なら両方の外装を見て、消費期限が新しいエクオール・・・正しくは大塚製薬の「S-エクエル」なのですが、そちらの方が消費期限が早かったからです。

封を破って、エクエルを1錠取り出してみて、驚きました。

←命の母のエクオール                 大塚製薬のエクエル→

エクエル・・・デカくね・・・・❓😅

これを1日4粒飲めという事らしいです。
でも見た所、大きさは命の母のエクオールとそんなに変わりませんよね❓
命の母のエクオールは、1日1粒です。

ふと思いました。
看護師さんが「よく効く」と言ったのは、もしかして・・・
本当は命の母のエクオール1粒とエクエル1粒にそれほど差はなくて、ただエクエルは4倍飲むからよく効くだけなんじゃ・・・・❓と。

試しにエクエルを1粒飲んでみました。
主成分はどちらもデンプンです。つまり小さいお芋を食べるのと同じ。結構お腹がいっぱいになりました😓というか、朝食の後に飲んだので、ちょっと苦しい状態に。
これをあと3つも飲むのは苦行でしかないと感じました。

で、母に報告します。

「1日朝晩2粒までで許して🙏」
すると母から「仕方ない、許してつかわそう。その代わり、もったいないから毎日ちゃんと飲みなさい」とメールが返って来ました。確かに・・・もったいない・・・。

もう次からは命の母の方に戻します💦


で、タイトルに「騙された・・・?」とは書きましたが、私は正直そこまでは思っていません。看護師さんの口ぶりだと、看護師さんも知らなかった様子だったので。
しかし故意ではなくとも、「病院処方」とか「保険適用で安く済む」とか、嘘ではないにしろ、不確定な情報をさも正しいかのように私に伝えた訳なので、そこは出来ればちゃんと謝って欲しいなと思いました。今度行った時、同じ看護師さんだったら少し追及してみようと思います。「一言だけ出来れば欲しかったんですけど」と。やわらかくねw若い可愛い看護師さんでしたから、優しく♥(顔差別w)

でも最初2000円損したー‼と思ったのですけど、1日の摂取量を半分にしたので、結果プラマイ0ですかね?・・・ですよね?!😅

ひきこもりの葛藤①

 


よく「ひきこもりって、ひきこもって居られるんだから良いね」と言われます。
確かに親のすねかじって、働きもせず、楽しているように見えるかもしれません。

ですが私の経験で言うと「苦悩と葛藤の毎日」です。

父親と365日バトル。

父は特に精神疾患への拒否反応が顕著でした。
「何故病院に行き、薬をもらっているのに良くならないのか❓」
そこが理解出来ません。そして
「本当に今のままで良くなるのか❓」
という事もよく言われました。

たとえ父と顔を合わせなくても、神経を擦り減らしていました。
父に会ったら、いつ説教されるか分からない。怒られるかもしれない。
丁度運悪く、その頃父は定年退職をしており、ほぼ家に居ましたwただ父はギャンブルを趣味として、たしなむ程度にやっており、また我が家はパチスロ屋さんが近い所にあったので、父がパチスロ屋に行っている時が唯一の安らぎの時でした☺

が、これがまた難しい。
私はその頃2階に自分の部屋があり、そこでひきこもっていました。
父は1階にいます。父が動き回ると、音で分かります。父が日中居る時、私は自分の部屋から出られません。父が寝静まる夜中まで待ち、夜中になったらそーっと音をなるべく立てないように1階に降り、トイレに行き(1日1回のみ)、台所に行ってお惣菜パンを1個(これが1日の食事内容)2階に持って上がって食べていたのです。
父が出掛ける時も、油断できませんでした。階段下から時々「出て来なさい」と、お説教のために呼び出される事があったからです。まず父が玄関から出て、車のエンジンをかけ、車が出て行って家の近くの角を曲がって音が遠ざかるまでは動けませんでした。
夜中に父がトイレに行く時も、思わずビクビクして耳を澄ませていました。

こんな状態でも羨まれるようなものなのか、逆に問いかけたいです。

「ひきこもっていること」への葛藤。

ひきこもりにとって、代表的にツライ世間の行事を時系列に沿ってまとめてみました。

1月1日 新年の挨拶(家族や親せきに会う→説教・「何してるの❓」攻撃)
1月3日 仕事始め(何も始められない自分を責める)
1月8日 新学期の始まり(同上)
2月14日 バレンタインなど関係なし
2月後半 受験や就職の話題が多くなる
3月1日 卒業式後の卒業生インタビューがまぶしい
3月後半 徐々に「就職」の話題が多くなり、世間からの圧を感じる
4月1日 社会人スタート(やはり自分は何もスタートしないので、落ち着かず)
4月後半 GWが始まると、街中に人出が増えて出られなくなる
5月後半~6月 梅雨の到来で、季節性うつなどに悩まされる
7月後半 夏休みスタート。再び街中に人が増え、閉じこもる
8月31日 自分の夏休みの宿題はいつ終わるのだろうか❓と悶々
9月1日 新学期の始まり(以下略)
10月~11月 修学旅行の話題が増える
12月24日 クリスマスって1人で過ごしちゃいけないの❓
12月後半 今年1年も、何も出来なかったなぁ・・・

ご覧頂ければ分かる通り、毎月何かしら悩んでます😅

世間が動くと「動けない自分は・・・」と葛藤している・・・それがひきこもりの実態です。

゜+.――゜+.――゜+.――゜+.――゜+.――゜+.――゜+.――゜+.――゜+

次回、「日々」のレベルでの葛藤をお届けしようと思います。

②へ続く。

私なりの「戦争と平和」

 

今年もこの日がやって来ましたね。
1年に1度、戦争と平和について考える日です。

小学生の頃の私自身の話をしようと思います。

はじめての平和学習は「恐怖」だった。

小学校にあがって初めての8月6日の登校日。
まず教室に入ると、教室の壁一面にモノクロの写真が並べられていました。どれも人間とは思えない、皮膚が焼けただれ、酷い火傷を負った人の写真ばかり。
この日、初めて戦争というものを知りました。
クラスの女子の中には、怖くて泣いている子もいました。

でも、怖いだけではありませんでした。

他の行事


広島県民以外の方には馴染みがない方も多いと思いますが、原爆についての歌も割とたくさんあり、この日に合唱するために練習したりもします。
「同胞(はらから)の絶え間なき 労働に築きあぐ富と幸
 今は全て潰(つい)え去らん ああ許すまじ戦争を
 三度(みたび)許すまじ原爆を 我らの空に」
言葉が難しくて、ほとんど意味が分かりませんでした。でも今もこの歌の、この部分は覚えています。
他に「夾竹桃の歌」「青い空は青いままで」など歌っていました。今でもほとんどそらんじて歌えるものが多いです。

5年生になったら修学旅行で原爆資料館に行き、佐々木貞子さんの「平和の子の像」に折り鶴を捧げるので、折り方を教わって1人30枚ずつくらい折り紙が渡され、家族総出で折っていた事も思い出します。
祖父母の家に遊びに行く時も、折り紙を夏休みの宿題と一緒に持って行き、集まった親戚にも協力してもらっていました^^;

家族と戦争

平和学習が終わって家に帰ったら、家族とも戦争について話しました。

その時、初めて祖父が徴兵されて朝鮮に居た事もあると知りました。私は正直戦争は昔の事だと、どこか他人事のように思っていたので、身近に戦争に関わった人がいると聞いてショックでした。

祖父は身体が弱かったため、前線に出る事はなく、倉庫にある物資を帳簿に記録して管理する役割だったようです。時々ごまかして、食料を傷ついた兵隊さんに分けていたそう。
ただ前線に出られなかった事で本人はその事を恥じ、悔いており。かなり強い劣等感を感じていたようです。それが後年、私への偏った「英才教育」につながっていく訳ですが。。。

母方の方は田舎の稲作農家だったので、直接かかわりはないと思っていましたが、祖父の兄弟がほとんど兵隊として徴兵されたり、戦死している人もいる事も知りました。昔の写真を出されて見ると、胸に勲章を付けた兵隊の服を着た人の写真がずらりと並んでいて。写真を裏返して見ると、ほとんど「〇〇年〇月〇日、▲▲にて戦死」と書かれていました。

私の祖父は父方・母方とも私が小学校2年生にあがるまでに亡くなっています。
もしこの時、家族と話し合わなかったら祖父たちが戦争に関わっていた事を直接聞く機会はなかったでしょう。
その意味では貴重な日でした。

子供にとっての「戦争」

人生初めての平和学習は、そんな風に恐怖から始まりましたが、その後もしばらくそれは続きます。

翌日の朝、ラジオ体操に行ってからも、みんなで戦争について話し合していました。ご近所の大人も一緒にラジオ体操をするため、ご近所さんとも平和学習の内容について話し合ってみたり。

私が通っていた小学校では、夏休みには「分団プール」というのがありました。学区が東と西に分けられ、「東〇〇分団」「西■■分団」という風に区分けされていました。ちなみに私の家の周辺は「西3の2分団」。相当児童数が多かった事がうかがえますね。
この分団プールは、学校のプールを1時間ごとに分団を入れ替え、無料開放する夏休みの行事です。市民プールはお金がかかるため、無料でプールに入れる分団プールは子供たちにとってオアシスでした。監視につくPTAには負担だったかもしれませんが😓

平和学習の後しばらくは、この分団プールの行き帰りでも話題はやっぱり「戦争の怖さ」でした。
夏休みの登校日は投稿班はなかったと記憶しています。なので他の学年の子と夏休みの間に話せるのは、ラジオ体操と分団プールの間のみでした。もちろん上級生たちとも戦争についての話をします。

そして2学期が始まり、授業が始まってからも、授業中に飛行機の音が聞こえて来たら、クラスの誰か(大抵男子😅)が「B29なんじゃあ・・・」と言い出し、女子が怖がって騒いでいた事も思い出されます。

終わっていない戦争

そんな日々を過ごしながらも、私はしばらくの間、戦争は「過去の出来事」としてとらえていました。
そんな中「湾岸戦争」のニュースが飛び込んで来ます。
まだ戦争は終わっていなくて、広い世界のどこかではずっと戦争が続いていたのだと、その時初めて知りました。

小学校の時、授業中に「B29なんじゃあ・・・」と騒いでいた男子のように、授業中に飛行機の音がしたら「イラクに行く爆撃機なんじゃあ・・・」「もしそうだったら、間違ってここへ墜落したら・・・」と騒いだりもしていました。

みんなで「影送り」

平和学習は、なにも怖い思い出ばかりでもありません。
「ちいちゃんの影送り」という平和学習のための教材文書があります。

主人公は「ちいちゃん」。小さいから「ちいちゃん」。家族と一緒に手をつないで「影送り」をしていました。

この影送りというのは、真夏の雲1つない青空でないと出来ない遊びなのですが、まず影をじーっと見つめます。まばたきをしないように、10数えます。その後、そのまま空を見上げると、空に影が白く映る・・・という遊びです。

ある日、原爆でちいちゃんは家族を全員亡くします。天涯孤独になってしまったちいちゃん。その寂しさから、ちいちゃんは1人で影送りをします。すると空には、家族の影が映ります。手をつないで。そしてちいちゃんは「家族はいつもそばに居る」と寂しさをこらえ、強く生きようと誓う・・・そんな話でした。

私たちの間でも、しばらくこの「影送り」をして遊びました。先生も一緒になって校庭に出て、皆で手をつないで影送りをし、空を見上げていました。

やっぱりカープ!

私は祖父の代から3代続く、生粋のカープファンですw

別に祖父や父が好きだから、カープファンになった訳ではありません。気が付いたらカープファンでした。

そのカープは、戦後間もない、広島市民にとって娯楽も何もない頃に生まれた球団。いわば「復興の象徴」でした。食べ物もろくにまだなかったのに、なけなしのお金を寄付して球団の存続を訴える・・・そんな市民に愛された球団です。その寄付が後々、たる募金につながっていく訳ですが。

今は「ピースナイター」も開催されます。大抵地元ローカルのRCCが中継放送するのですが、この時地元紙の中国新聞のラテ欄(テレビ欄)は、ピースナイターの中継枠は毎年縦読みで「野球を楽しめる平和に感謝」といった内容の文章を作ります。

少し話は逸れますが、よくピースナイターの時に相手チームが勝つと「空気読めや」というファンが居ますが、これはもちろん解釈が違います。「カープを勝たせないといけない日」ではありません。「野球が出来る(見られる)平和に感謝」し、敵味方関係なくこの平和が続くように祈る日です。

平和について考える日

社会人になってからでしょうか。
「え?8月6日の登校日って、広島県内だけなの?!」と、衝撃を受けたのはw

そして広島県民でも8月6日には黙とうを捧げていても、8月9日が長崎の原爆の日だという事を知らない人もいると知りました。私は自分の誕生日だから覚えざるを得ないのですが^^;

1年中平和について考える人は居ないでしょう。でも、1年に1回くらいは平和について意識してみる機会だと思います。

今回のオリンピックでは、8時15分に黙とうはしないと聞き、がっかりしました。IOCが発表した理由だと「日本も戦争では、相手国に被害を与えている」「政治的な行事をスポーツに持ち込むべきではない」のだからだそうです。なんだ❓平和の祭典って。

けれど祈ること・平和について語ることは、個人の自由だと思います。IOCはそう言っていても、外国人が皆が皆、黙とうしない訳ではありません。心を痛めて一緒に祈ってくれる人も居ます。

私のTwitterのタイムライン上も、祈りの言葉に溢れています。

戦争がなくなりますように。
戦争で罪もなく死んだ方が、安らかに眠れますように。
コロナが早く収束し、平和な日常が戻りますように。

私が「ひきこもり女子会」に慎重な理由。

 

よく「かっしーさん、ひきこもり女子会やりませんか❓」というお声は頂きます。

コロナ禍前からオンラインで活動してた私ですから、当然その頃から考えていることではあります。もうかれこれ4~5年は温めてます。

でもまだ案を温めているだけです。
何故か❓
やろうと思えばすぐにでも出来る「環境」「ノウハウ」は整っています。

ただ実行出来ないのは、私が「継続性」を考えているからです。

「やろう」だけで始めて良いのか?

コロナ禍で「オンライン〇〇」が増え、ひきこもり・生きづらさ関係もオンライン化が増えて来ました。それは良い事だと単純に思います。

ただコロナ明けにどうするかはさておき、「果たしてこの会は続くのだろうか❓」という疑問を持つことはあります。
仲良しだけで集まって、何となくやり始めた・・・そんな雰囲気がある会も時々お見掛けします。「コロナの間だけだから」ならまだ良いのですが。


以前コロナで最初の緊急事態宣言が出始めた頃、こんな事がありました。

私はとあるオンライン当事者会に参加していて「女子会をやりたいんですよね」という話をしました。司会の方(男性)もそれを考えておられ、「オンラインでやるならかっしーさんが司会になるのが適任」と言われましたが、私の場合「オンラインのみなので、実はひきこもり女子のつながりが少ない」と言うと、リアルで女子会をやった事があるという方が名乗りをあげて下さいました。
その方が代表になり、私はオンラインの司会担当。いわば「共同主催」のような形です。

これで念願のオンライン女子会が出来ると思ったのですが、私が「ルールとかどうします❓」「Zoomを使うなら、告知方法など考えないといけないですね」「Zoomの参加方法も知らない方も多いでしょうから、Zoomの使い方をまずレクチャーするのも必要かもしれないですね」と色々ご提案させて頂いた所、相手の方は混乱してしまったようです。

それで結局、その代表者さんは私に「圧を感じる」となってしまわれたようで、後でその場の司会男性を通じて共同主催を辞退して欲しい、さらに女子会含め、その話をしていた場も出入り禁止となりました。
(その場に居た女性の何名かは、その女性のお知り合いで、私が相当圧を与えて苦しめているように見えてしまったようです💦)

それ以来、他のオンラインの女子会であっても何となく「時々理論で突っ走る私は、参加しない方が良いだろうな・・・」と、場を壊すのが怖くなってしまって、参加していません。お誘い頂いたら「予定が合えば行きます」とお返事しているものの、「予定が合わなくなった」などの理由をつけて結局参加しなかったり。

差別するつもりはありませんが、女性主催者さんは何故か「場当たり的」に始めてしまう方が多い印象です。

ルールは何のためにあるのか

私はルールなどきっちり決めてから動かしたい派です。

以前テーマパークで勤務していた事がありますが、「何かあってからでは遅い」という言葉を何度も言われました。なので開園前からずっとスタッフ同士話し合いを重ね「台風が来たらどうしたら良いか❓」「暗闇の中でお客様を混乱させずに誘導するにはどうしたら良いか❓」「どの段階で危ないと見極めるのが良いか❓」など、色々話し合って来ました。
それはスタッフ自身の身を守るためでもあり、何よりお客様の安全を守り、その上でお客様に安心してアトラクションを楽しんで頂くためです。

(こういう事をビジネス用語では「リスクマネジメント」と言います)

いつも安全とは限らない。だから危険が訪れた時、どうすれば損害を少なく出来るか。
それを常に考えるのが私の習性となってしまってるんですね😅
それが不安材料になって、今の不安障害の引き金にもなっている気がしますが。。。

ネット社会の危なさも、とある会社で昔サイバーレスキューとして働いていたので、ある程度は知っていると自負しております。アクセス制限かけようが、そこをかいくぐって来る人はいくらでもいる訳で。

あるいは他の女子会のチャットなども複数参加させて頂いた事があるのですが、多くの所が「マウント取り」みたいな事が起き、管理人が機能しなくなって空中分解してしまうのも、結構見て来ました。
その時、共通して言えるのは「ルールを作っていない」「あっても、ザックリしすぎて細かいケースに追及していない・例を出していない」「全員に浸透していない」などがあります。
ルールを理解しているのは、立ち上げ時から参加している、いわゆる「古参メンバー」のみで、しかもその古参メンバーもルールを自分たちの都合の良いものに勝手に書き換えてしまっているパターンが多かったです。
結果、新しく入った女性がまず会話に入れないし、歓迎ムードも何もなく、淡々とチャットが流れていき、淘汰される・・・という現象が起きていました。

ルールがあっても・・・

こんなことに遭遇した事があります。

とある女子会のチャットに参加させて頂きました。
ルールにはこう書いてあります。
「まずは自己紹介をしましょう」

しかし皆さん何だかダイエットの話で盛り上がっており、割り込める雰囲気ではありませんでした。なのでいずれ管理者さんから何かアナウンス的なものでもあるのかな❓と思いましたが、管理者さん自身が話にノリノリでこちらが自己紹介する流れを作ってもらえません。
結局話についていけず、そっと無言退出しました。
その翌日、管理者さんからDMで「何故無言退出したの❓」という問い合わせがありました。(正直私はそういう「去る者を追う」体質も好きではありません💧)「流れについていけなかったので」「ルールには『自己紹介しましょう』とあるのに、チャットを遡っても自己紹介を書き込んでいる人は1人も見当たらず、逆に自己紹介するのは場違いな気がしたので」とご返答させて頂きました。
すると驚くべきことに「かっしーさんがそんなに気を使う人だとは知りませんでした」という回答が返って来たのです。

まさか「ひきこもり」の名を冠する場所の管理者さんから、そんな言葉が返って来るとは思いませんでした。
まだ私もHSPという言葉も知らない時期の事だったので、仕方ないと言えば仕方ない事なのかもしれませんが。ネタで「空気読まない、無神経な所があるので」と言ってはいますが、実は結構・・・人間関係でもリスクマネジメントを意識するような気使いの人でもあるんですよ😅w意外とね。

ルールに定めてあっても、守る人が居ないのでは・・・という例です。

責任の重さ

仲間内で2~3回だけとか、たまに気が向いた時とか、「継続性」を無視するならばルールなど作らず、場当たり的にやっても良いかもしれません。

ですが継続性を持ってやりたいなら、私はやはりルールの土台だけでも作っておいてから始める方を推奨します。相手は人なので。参加者さんが傷ついてからでは遅い気がします。
開催回数を重ねていく中で参加者層が変わったりして、ルールが追加・変更される事はよくあります。私の会でも1年に1回くらいのペースでルールの追加・変更をしており、その都度お知らせをしております。
ただ土台があるとないのでは、大きく安全性が違って来ます。

主催者は、その場に参加する全員の「安心・安全」を守らなければなりません。またその安全を脅かす存在が出て来た時、どう対処するかも想定し、矢面に立って戦わねばなりません。時にはルール違反者を退場させる事で「冷酷な人」と思われる事もあります。が、私は常にその覚悟を背負っているつもりです。実際、出禁の処置を取った相手からしばらく恨み言のDMをしつこく送られた事もあります。
が、私が一貫して主張するのは「皆の安全のための判断」です。

これは私自身も冷酷だとは思いますが、でも致し方なくやっている部分なのですが。
たとえば悪意はないのだけれど、ルールがどうしても何度言っても守れない人がいます。私も2~3回くらいは注意で済ませます。が、回数が重なればいくらそういう特性を持った方であっても、問答無用でバッサリ・・・という事はあります。
冷酷に見えるかもしれませんが、これは実は2次被害を防ぐためです。「この病名を使えば、ルール無視をしても許される」と思い、堂々とルール違反をしてしまう人も出て来るかもしれません。こういう事が2次被害。
もちろん、特性があって・・・という事は私も把握していますし、そういう流れになる前になるべくストップをかけるように留意はしていますが😓

とにかく、負担は結構あります。

女性同士は特にトラブルが起きやすい。
「女子」をどの範囲でとらえるかも、まだ私には決まった範囲がない。
トラブルになった時、果たして私は平等にジャッジ出来るのか・・・

色んな課題を抱えており、しかも失敗例もたくさん見聞きしているので、慎重にならざるを得ないのです。

特にチャットで管理者さんから「あの発言」があった時、しばらく「女子会アレルギー」起こしてました。
なのでもしかしたら、私は一生女子会には手を出さないかもしれません。

注意の仕方

 

先日私はある失言をしました。その事についてある方から注意を受けたのですが、私は何故か自分が悪いと分かっていながら、なかなか謝罪の言葉を言えませんでした。謝罪はしていても、どこか言い訳をしていたり。最終的には謝罪をしたのですが、その言い訳があるからこそ「本当に理解はしてない」と思われたようです。

そこは私の本当に不徳の致す所であり、仕方ない事です。反省中。

何故、言い訳してしまったのか

周りの方からは「間違いは誰にでもある。その時に謝って、気を付ければ良い」など色々励まして頂いたものの、少し釈然としない部分がありました。

私が謝るだけで片付けて良いのか・・・
悪かったから、一方的に責めて良いのだろうか・・・
何故あんなにも私は意固地と言えるまで、言い訳していたのだろうか・・・

後者は私にだけではありません。私に注意をして下さった方は、他でも少しトラブルを起こし気味のようです。おっしゃる事は間違っていないのですが、言い方がどうもキツくて、なかなか受け入れてもらいがたい所があるようです。

そこでその方とのやり取りや、私が閲覧出来る限りで、その方が他の方とも揉め気味になっている文章等、読み返してみました。そこで気付いた事をまとめてみます。

ただ注意して頂きたいのは、これはその方だけでなく、私を含め誰もが陥りがちな現象であり、決して私の罪を棚上げしたものではない、と申し上げておきます。

ひきこもりの原点

少しだけ私の話をします。私は物心ついた頃から祖父に「女の子はこうあるべき」という理想を厳しく押し付けられ「年長者には逆らうな」「女は男に従うべき」という極めてその当時でも時代錯誤な「教育」を受けました。この「〇〇してはダメ」という強い否定により、私は祖父に恐怖感を覚え、祖父に対しては特に何も言えない幼少期を過ごしました。
その祖父の死後、今度は10歳くらいの時に身内から、いわゆる「性的虐待」を受けます。この時に相手が使っていた言葉も、強い否定の言葉がありました。「動くな」「お父さん・お母さんには絶対言ったらダメ」と。その相手は年上の男性であり、祖父ももちろん年上であったことから「年上の男性」に対する恐怖心がここでまた思い出すと同時に強まっていきます。
そして大人になってからは職場の男性上司であったり、ひきこもり始めた時は父との確執があったり・・・と色々重なり、いずれも強い否定を受け続け、ひきこもる事になります。男性ばかりではなかったのですが、男性の割合が強かったのは事実です。

ひきこもりの方同士でよくある話で、「〇〇してはダメ」という強い否定の言葉を受け、それがどんどん重なっていくと「〇〇はダメ」が次第に「自分がダメだから怒られるんだ」「自分はダメな人間なんだ」という状態に陥り、最終的に自分の存在意義を見失い、ひきこもる方が多いように見受けます。

これは私のようなHSP(私はHSS型ですが💦)以外でも、よく見かける現象かと思います。また「ひきこもり」と自認していなくても、同じように感じている方も多くいるかもしれません。

注意する相手にも、自尊心がある

悪い事はもちろん悪い。でもその注意の仕方で逆に相手を傷つける事もあると思います。強い否定の言葉でかえって相手が逆上したり、正常な判断力を見失う事もあるでしょう。

「悪い事を悪いと言って、何が悪いんだ」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。ですがそれによって追い詰められ、相手が精神を病んでしまい、果てに命を絶つ・・・こういう事も決してないとは言えません。こうなれば「そこまで追い詰めた方が悪い」と、途端に加害者側に転じてしまうでしょう。

正しい指摘をしているのに、言い方によって加害者にもなり得るのです。

言葉を言い換える

加害者にならないためには、どうしたら良いか。

言葉の言い換えがあれば、もう少しスムーズにいくと思います。「ダメ」ではなく「気を付けた方が良いよ」など。「ダメ」という言葉に限らず、色んな強い意味での否定の言葉があると思います。「〇〇すべき」は、逆に捉えればそれ以外の選択肢を認めない否定の言葉です。この場合は「〇〇も良いけど、私はこうした方が良いと思う」など。

こういう事は「クッション言葉」とも言われますね。
ワンクッション入れるだけで、印象がぐっと変わってきます。
注意された方も素直に自分の非を認める気になれるのではないでしょうか。

ただしこれは精神的余裕がないと難しいと思います。
なので無理にとは言いません。冷静になった時、私も「ああいう言い方はしなくても良かったのではないか」と思い直し、後から「あの時、言い過ぎてごめんなさい」はよく言います。こういったフォローの言葉も「言い換え」につながるものであり、有効かと思われます。

尊敬する人

私の以前の職場で、怒る時は本当に厳しかったけれど、そんなに嫌いではなかった上司がいます。その上司はご自分で言っておられました。「俺はキツイ事も言うけど、最後は笑って欲しい」と。
考えてみればその方、怒った後に必ず「お茶飲む?」と一息入れさせて下さったり、笑い話をして下さったり、ご自分の失敗談を聞かせて下さってました。

特にご自分の失敗談を笑い話として聞かされると「この人も完璧な人ではないんだな」と親近感が少し湧き、自分の悪かった所・指摘された部分を抵抗感なく受け入れられますし、怒られた後でも強い落ち込みはありませんでした。

私が見て来た中でも、好かれる上司さんは皆、何らかの「失敗談」を話しており、人間味を感じさせます。上司という立場でありながら、同じ目線になって下さる感じがするのです。
嫌われる上司さんは「そんな事も出来ないのか」とか「だからお前はダメなんだ」と否定の言葉ばかり。

失敗談を挟んだり、色んなフォローを入れるのもクッション言葉になっていると思われます。

今、感じていること

私に教えて下さった方も、色んな事が重なっていたのでしょう。だから私はその方を恨む気持ちはありません。むしろ「教えて下さってありがとうございます」と言いたいです。
そして同時に、私がここで述べたような事にもし気付かれるチャンスがあれば・・・いや、あって欲しいと願っています。その時は私には謝らなくてもいいです。普通に話しかけて下されば、それで十分です。大変な事を背負われているのは察しておりますので。

同時に、私も自分の失言も詫びねばなりませんが、ここに書いた事も気をつけねばならないと思います。「気が付いた時に書く」これは私の習性ですので、あえて書かせて頂きました。

完璧な人間はいませんし、私もまだまだ未熟者です。配慮が足りない部分があれば「こういう所、気を付けてね」とそっと優しく教えて下さるとありがたいです。

ジェンダー問題=性別問題ではない

 

私は20年来のひきこもりです。ひきこもりながら、ネット上で色んなひきこもり経験者・当事者とつながり、声を聴いています。

その中で気付いた、ひきこもり界にもあるジェンダー問題についてお話したいと思います。

身体の性・脳の性

よく「女性ホルモンは男性にもあり、男性ホルモンは女性にもある」と言われますね。そして男性脳=理論的・解決を求めたがる、それに対し女性脳=感情的・共感を求めたがるとされ、この男性脳・女性脳もホルモンと同様に「男性にも女性脳が強い人が居て、女性にも男性脳が強い人が居る」あるいは「場面によって使い分けて居る」とも言われます。
「使い分け」は、具体的に言えば仕事も家庭も両立させている人。仕事では男性脳が優位、休憩中など友達と話している時や家に帰った時は女性脳が優位・・という具合に。

私が運営しているオンライン座談会には男性も多く参加されるのですが、私自身その男性たちに不快感や違和感を感じた事はありません。男性であっても、女性やひきこもり、その他色んな事で苦しんだことを話される方に「大変だったんだね」と、まず共感しているからです。
そして身体の性別は女性でありながら、男性脳で司会として突き進んだり、会話に参加する時は「寄り添い」として女性脳に切り替える私をサポートして下さるから。

男性が多く参加する場でありながら、話の内容は男性脳・女性脳が上手くバランス良く配置されているのです。

性的マジョリティーとは

ネット記事に、このような内容をお見掛けしました。

マジョリティは、社会に不公正・不平等があるという問題を、そもそも気付くことができない。もしくは気付いたとしても、スルーできる、立ち去ることができる。そうして、意図せずともそのような構造の維持や再生産に加担してしまうのです。さらには、問題を見て見ぬフリをすることで、利益を得ることもあります。

一方でマイノリティは、進学や就職、昇進など、日々の生活の様々な局面で、情報や資源、機会へのアクセスを阻まれたり、不利益を被ったりしています。したがって、社会の問題点を「気にせずにはいられない」のです。

つまり私の会に集まる人の多くは社会から不平等な扱いを受けて来たため、自らの身をもって色々な差別に「気付いてしまった」あるいは「気付かされてしまった」方たちなのです。

「え?所詮それってマイノリティーだし、ひきこもりでしょ?」

そう思った方、あなたは「気付いていない」あるいは、自分がひきこもりじゃないから・・と逃げる事が出来る「マジョリティー」です。

ひきこもってない、ひきこもり

私はNHKさんの「みんなでひきこもりラジオ」にも出演しましたし、「ヒッキーラジオ」というYouTube配信もしています。社会人になってからひきこもり、時々短時間であればパート勤務も出来たり、町内会の行事などにも参加出来ているので「ひきこもりなんです」と言うと、よく色んな人から「全然ひきこもってないじゃん!」と言われます。
でも、ひきこもりなんです。パート勤務していても、人間関係にすごく気を使い、疲れてしまう。休日まで引きずられたくないから、欠勤連絡をする上司以外誰とも連絡先の交換はしない。仕事が終わったらどこにも寄らず早く家に帰りたいし、休みの日もなるべく家の部屋の中に居たい「精神的ひきこもり」です。

また不安障害やHSP(繊細で疲れやすい人)があり、公共交通機関に乗るとパニック発作を起こす事があるので怖くてなかなか乗れません。だから自然と行動範囲も狭くなり、コロナ禍前から日常的に話す人はごくわずか。

不安障害やうつ病・パニック障害などの精神障害は「誰でもなり得る」という事が随分認知されるようになって来ました。そして「精神的ひきこもり」の部分を読んで「あ、私そうかも・・・」と思い当たる方も多いのではないでしょうか。
そう考えると、先述した「ひきこもりでしょ?」は通用しない事になります。

「へぇ~、ひきこもりってそうだったんだ!」と気付いたあなた、あなたはまだ大丈夫です。気付けた人なので。

ひきこもり界のマジョリティー

ここまでは、ひきこもり以外の方に向けて書きました。

ですが、残念ながらひきこもり界にもマジョリティーが居るんです。いわゆる「ホモソーシャル」とか「男ノリ」とも表現したりします。狭い狭いひきこもりの世界で、ひきこもりがひきこもりに『教育』を施す・・・おかしな人たちだなと、個人的には感じます。
ひきこもりだから、心理学や精神医学、福祉などに詳しいのは分かります。が、「ひきこもってて、人と話すのが怖くて・・・」と共感=仲間を求めてやって来た人に対し「趣味の合う人と話せば良いよ」なんてアドバイスしちゃったり、そこからどんどん「勉強すればいい」とか、聞いてもいないのに「こういう制度もあるから利用した方が良い」なんて言い出す始末なんです。
うちのオンライン座談会は、そういう「相談場所」にはしないと決めています。相談しに来る方も居ますが、アドバイスはしません。するとしても「私はこうしたけど、それがあなたに良いかどうかは分からない」と選択肢を示すのみです。私たちはプロではないから、うまくいかなかった時責任が持てません。

傷と個性

こういう話をすると、必ず「じゃ、その会はひきこもりの人たちが集まって、傷を舐めあってる会なの?」と聞かれます。そう捉えられるのも無理はありませんし、あえて否定もしません。けれど私自身はそうではなく、「個性を尊重している会」だと自負しております。

共感する事により、ひきこもり当事者は安心感を得られます。そうして心の余裕が少しでも出来れば、次に何をしたら良いか・どのように考えたら良いか、自然と動き出します。一気に行動する訳ではないので、周りからは変わっていないように見えるかもしれませんが。
でも本人の中では明らかに「気付き」があり、成長しているのです。

「生きづらさ」にも個々の環境で千差万別あるように、「生きやすさ」にも個人差はあります。どちらも違いを否定しない。それはいわば個性を尊重しているという事ではないでしょうか。

「しおりん」舞台裏制作話①