ジェンダー問題=性別問題ではない

 

私は20年来のひきこもりです。ひきこもりながら、ネット上で色んなひきこもり経験者・当事者とつながり、声を聴いています。

その中で気付いた、ひきこもり界にもあるジェンダー問題についてお話したいと思います。

身体の性・脳の性

よく「女性ホルモンは男性にもあり、男性ホルモンは女性にもある」と言われますね。そして男性脳=理論的・解決を求めたがる、それに対し女性脳=感情的・共感を求めたがるとされ、この男性脳・女性脳もホルモンと同様に「男性にも女性脳が強い人が居て、女性にも男性脳が強い人が居る」あるいは「場面によって使い分けて居る」とも言われます。
「使い分け」は、具体的に言えば仕事も家庭も両立させている人。仕事では男性脳が優位、休憩中など友達と話している時や家に帰った時は女性脳が優位・・という具合に。

私が運営しているオンライン座談会には男性も多く参加されるのですが、私自身その男性たちに不快感や違和感を感じた事はありません。男性であっても、女性やひきこもり、その他色んな事で苦しんだことを話される方に「大変だったんだね」と、まず共感しているからです。
そして身体の性別は女性でありながら、男性脳で司会として突き進んだり、会話に参加する時は「寄り添い」として女性脳に切り替える私をサポートして下さるから。

男性が多く参加する場でありながら、話の内容は男性脳・女性脳が上手くバランス良く配置されているのです。

性的マジョリティーとは

ネット記事に、このような内容をお見掛けしました。

マジョリティは、社会に不公正・不平等があるという問題を、そもそも気付くことができない。もしくは気付いたとしても、スルーできる、立ち去ることができる。そうして、意図せずともそのような構造の維持や再生産に加担してしまうのです。さらには、問題を見て見ぬフリをすることで、利益を得ることもあります。

一方でマイノリティは、進学や就職、昇進など、日々の生活の様々な局面で、情報や資源、機会へのアクセスを阻まれたり、不利益を被ったりしています。したがって、社会の問題点を「気にせずにはいられない」のです。

つまり私の会に集まる人の多くは社会から不平等な扱いを受けて来たため、自らの身をもって色々な差別に「気付いてしまった」あるいは「気付かされてしまった」方たちなのです。

「え?所詮それってマイノリティーだし、ひきこもりでしょ?」

そう思った方、あなたは「気付いていない」あるいは、自分がひきこもりじゃないから・・と逃げる事が出来る「マジョリティー」です。

ひきこもってない、ひきこもり

私はNHKさんの「みんなでひきこもりラジオ」にも出演しましたし、「ヒッキーラジオ」というYouTube配信もしています。社会人になってからひきこもり、時々短時間であればパート勤務も出来たり、町内会の行事などにも参加出来ているので「ひきこもりなんです」と言うと、よく色んな人から「全然ひきこもってないじゃん!」と言われます。
でも、ひきこもりなんです。パート勤務していても、人間関係にすごく気を使い、疲れてしまう。休日まで引きずられたくないから、欠勤連絡をする上司以外誰とも連絡先の交換はしない。仕事が終わったらどこにも寄らず早く家に帰りたいし、休みの日もなるべく家の部屋の中に居たい「精神的ひきこもり」です。

また不安障害やHSP(繊細で疲れやすい人)があり、公共交通機関に乗るとパニック発作を起こす事があるので怖くてなかなか乗れません。だから自然と行動範囲も狭くなり、コロナ禍前から日常的に話す人はごくわずか。

不安障害やうつ病・パニック障害などの精神障害は「誰でもなり得る」という事が随分認知されるようになって来ました。そして「精神的ひきこもり」の部分を読んで「あ、私そうかも・・・」と思い当たる方も多いのではないでしょうか。
そう考えると、先述した「ひきこもりでしょ?」は通用しない事になります。

「へぇ~、ひきこもりってそうだったんだ!」と気付いたあなた、あなたはまだ大丈夫です。気付けた人なので。

ひきこもり界のマジョリティー

ここまでは、ひきこもり以外の方に向けて書きました。

ですが、残念ながらひきこもり界にもマジョリティーが居るんです。いわゆる「ホモソーシャル」とか「男ノリ」とも表現したりします。狭い狭いひきこもりの世界で、ひきこもりがひきこもりに『教育』を施す・・・おかしな人たちだなと、個人的には感じます。
ひきこもりだから、心理学や精神医学、福祉などに詳しいのは分かります。が、「ひきこもってて、人と話すのが怖くて・・・」と共感=仲間を求めてやって来た人に対し「趣味の合う人と話せば良いよ」なんてアドバイスしちゃったり、そこからどんどん「勉強すればいい」とか、聞いてもいないのに「こういう制度もあるから利用した方が良い」なんて言い出す始末なんです。
うちのオンライン座談会は、そういう「相談場所」にはしないと決めています。相談しに来る方も居ますが、アドバイスはしません。するとしても「私はこうしたけど、それがあなたに良いかどうかは分からない」と選択肢を示すのみです。私たちはプロではないから、うまくいかなかった時責任が持てません。

傷と個性

こういう話をすると、必ず「じゃ、その会はひきこもりの人たちが集まって、傷を舐めあってる会なの?」と聞かれます。そう捉えられるのも無理はありませんし、あえて否定もしません。けれど私自身はそうではなく、「個性を尊重している会」だと自負しております。

共感する事により、ひきこもり当事者は安心感を得られます。そうして心の余裕が少しでも出来れば、次に何をしたら良いか・どのように考えたら良いか、自然と動き出します。一気に行動する訳ではないので、周りからは変わっていないように見えるかもしれませんが。
でも本人の中では明らかに「気付き」があり、成長しているのです。

「生きづらさ」にも個々の環境で千差万別あるように、「生きやすさ」にも個人差はあります。どちらも違いを否定しない。それはいわば個性を尊重しているという事ではないでしょうか。
この記事を通し、皆さんに色んな「気付き」がある事を祈っております。気付いて頂けたら、私たちひきこもり当事者・経験者ももう少し生きやすく、出て行きやすい社会になっているはずだと思いますので。

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