否定したがる人。

 

私が一番付き合いたくないのは、人がこれから「さぁ、やろう!」と思っている事に対して、すぐに「あー、ダメダメ」「自分には合わない」と否定したがる人。

「上手くいかないよ」ならまだ分かりますが「自分には合わない」なら、放っておいてくれれば良いのに・・・と思います。その人に「一緒にやろうよ」と声を掛けたことならともかく、誘ってもいないのに「自分はダメだ」と言う人は、失礼ながら「何を勘違いされているのだろうか❓」と不思議でなりません。

「やる気」の芽を摘む行為

ひきこもりの人が「何かやろう」という気が起きるまでに、どれだけのプロセスがあるか計り知れません。それを「ダメ」という一言で潰してしまうのは、すごく残念な行為であり、本人にとっては「ああ、私はやっぱり何をやってもダメな人間なんだ・・」と落ち込んでしまいかねません。

ずっと否定され続けたからひきこもったのであって。
そこを少しずつ回復して来たのに、また否定されたらもう「人格すら否定されている」「自分という存在を否定されている」という気にすらなってしまいます。

そしてこれは残念ながら、ひきこもり当事者同士でもよくある光景です。
私も否定されたことが何度もありますし、当事者会でそういった光景を何度も目にして来ました。

応援する気持ち

大事なのは「やる気に至るまでの努力を称えること」です。
本人がやろうとしている事はともかく、まずは「よくやる気になったね」と認めること。そしてそこに至るまでの経緯を応援してあげる気持ちだと思います。

同じ否定の意味であっても「やる気になったんだ、すごいじゃん‼私は協力出来ないけど、応援はするよ」と言われたら、そんなに嫌な気持ちにはなりませんよね❓

やろうとしていることが失敗するだろうと分かっていても、失敗も経験です。まず大事なのは「やろうという気になったこと」なのです。

アドバイス?否定?

「あなたがやろうとしている事はダメだ」というのは、本人はアドバイスのつもりかもしれませんが、受け取る側は「否定」ととらえるだろうと思われます。

これをアドバイスに変えるなら、どこを改善すれば良いかということを分かりやすく伝えなければなりません。

たとえば「それは面白そう。だけどここをこうしたら、もっと良くなると思わない❓」と言われたら、きっと受け取る側も納得しやすいはず。

またアドバイスは相手に可能かどうかも考えてあげなければなりません。相手にない能力でのやり方を振るのは、「お前には無理だろうけど」と相手を嘲っていることと同じだからです。

否定されても、やり続ける覚悟

一番手っ取り早いのは、本人が否定されても絶対にやり続けるメンタルの強さを持つことです。・・・難しいですが😅

たとえば私もYouTube配信をすると決めた時、色んな人に反対されました。配信を始めた後も否定され続けています。
「面白くないから止めろ」も未だに来ます。

私はそれに対して

  • 私は自分の配信が面白いと思ってる
  • あなたは私以上に面白いことがやれるのか❓
  • 今すぐそれ、やってみて
  • 今すぐ出来ないことは、永遠に出来ない
  • 私より面白い配信が出来るようになったらまた来て
  • 面白くないなら、配信見なきゃいいじゃない❓
  • それでリスナー0になったって、私は構わない(最初に戻る)
  • それはあなたの感想ですよね❓

などなど、言われたら3倍くらい返せる言葉を常に用意しています😅

まぁ正直、それくらいの語彙力とアドリブ力がないと、「しゃべり」がメインの配信者なんて無理ですけどねw一般公開にしていたら、嫌でもアンチコメントなんて飛んで来ますから。

余裕がある人は、他人のことは気にしない。

精神的に余裕がある人は、他人が何しようが全く気にしません。下手をしたら興味も持たないかもしれません。

色々言って来るのは、単にマウントを取りたいだけだったり、自分が満たされていない八つ当たりだったり、実は本人とは全く関係のない原因だったりします。

成功させたいなら素直に応援すれば良いし、「どうせ失敗するさ」と思っても「他人事だし、あいつが失敗しても構わない」と思うなら黙って見過ごしておけば良いだけです。

そして何かをやろうとしている人も、文句を言わせない方法を考えれば良いと思います。




若年層の悩みに触れてみた。


私はひきこもり当事者としての活動の他、YouTubeのサブチャンネルでゲーム実況をやっている自称「ひきこもり系ライバー」です。
ゲームジャンルは主にホラーゲーム。略してホラゲ。昔からお化け屋敷にトラウマがあり、怖い物は全て苦手でした。なのに前回「OMORI」というゲームをやってから、何故かホラーゲーム好きになってしまったのです。

先日、私は「OMORI」が終わって次のホラーゲーム「Ib(イヴ)」というゲームを実況配信していました。するとチャットコメントに「初見です」という文字が。過疎配信者の私はすぐさま喜んで「こんばんは、いらっしゃい🎵」「よろしくお願いしまーす」と音声で返しました。

そう、単に動画を視聴するだけでなく、こうして「双方向」である程度のやり取りもしていくのが私の好きな配信スタイル。自分がしゃべるだけでも、サクサクとゲームを進められて面白いのかもしれませんが、こうしてチャットの会話を拾っていく事で喜んでくれるリスナーも居るため、私はこのスタイルが気に入っています。

その日はお2人ほど初見さんが来られたのですが、最初の方は20代の男性だそう。最初はゲームの内容について話していましたが、ふとした事から「彼女が出来ない」という悩み相談に変わっていきました。そこで私は「私みたいなひきこもりが言うのもなんだけど、まず彼女欲しいなら、ひきこもってちゃダメだよね」と語っていました。

そしてしばらくして2人目の初見さんが来られ、その方は詳しい年代は聞きませんでしたが、察するに10~20代かと思われます。
この方も最初はゲームの内容についてチャットされていたのですが、ふとしたことから「LGBTQについてどう思うか❓」と聞かれ、そちらの方の話題に。

そしてその後もその方との会話は色々続き、まとめると

  • 友達と2人でVチューバーになりたい
  • 絵は自分たちで描く予定
  • 自分も絵は描くけど、友達の方が上手
  • でも友達に頼むと「自分で描け」と断られた
  • ゲーム配信者になるのを諦めようかと思っている
  • かっしーは男❓女❓

と、一部人生相談のような流れに。

ネットでつながる友情(?)

最後、そのVチューバーになりたい方は「人生相談みたいになっちゃってごめんなさい🙇」と謝って来ましたが、私は「別にいいよ^^私も普段、ひきこもりの人たちと関わって、人の話を聞くことには慣れているから」という風な返事をしました。

そして何となく察しました。
この子は友達と今、例のアバター絵の件で揉めていて、友達に相談が出来ない状況なのだ。そしておそらく「Vチューバーになって、ゲーム実況をしたい」など、親に言っても反対されるのが目に見えているという感じなのだろうな、と。

だから見ず知らずの私に、ネット越しに相談をし、さらにその子がやりたいと言う「ゲーム配信者」であるがゆえに、色々聞いてみたくなったのでしょう。

その子は(私はただのリップサービスだと思っていますが😅)「また来ます」「絶対来ます‼」と言い、そこで配信は終了しました。リップサービスでも、そこまで気に入って頂けるのは嬉しいもの。「いや、定期配信もしてないし、チャンネル登録もしてないんだから、絶対来ないだろう」と思いながら、珍しく押された「👍 3」という数字を見て、このうちの1つがあの子なら、きっと「おススメ動画」に私のゲーム実況が上がり、そこからまた遊びに来てくれるかもしれない、と期待する自分もそこに居ました。

ひきこもりと、似ている・・・

「彼女がいない」と言ったTさん、そして「また来る」と言ったMさん・・・このお2人の悩みを聞いていて、2人共「ひきこもり」というワードはなかったものの、このお2人の悩みはひきこもりの方々にも通じるものがあるな、と思いました。

周りの人が理解してくれないから、ネットの先の見知らぬ「かっしー」という謎の存在に相談する・・・しかも否定もしない、むしろ「Vチューバー、いいね🎵どんなキャラにするの❓」「ボクっ娘か~、可愛い子好き♥」「有名になっても『かっしー』を忘れないでね💧」と本気で応援する。彼らはそういう存在が欲しいだけなのです。

ただ否定せずに聞いてくれる人がいる。たったそれだけのことがどれだけ嬉しいか、私は知っています。だからそれを他人にも返したい、常々そう願っています。それは、こうして思わぬ形で叶うこともあるのですね。

何気なく、ただ「面白そう」で始めたゲーム実況ですし、過疎配信者ではありますが、とりあえず「やっていて良かった」と実感しました。
いえ、逆に過疎でコメントが少ないからこそ、1人1人にきちんと向き合えるのかもしれません。過疎配信、万歳w

◇◆◇

余談ですが、「また来ます」と言ったMさんには「ユーチューバーって儲かるんですか❓」とも聞かれました。
それに対して私は「収益化したことないから良く知らないけど、手数料で投げ銭の半額くらいは引かれるらしいね」「てかおい、私過疎配信者やぞ💧私も収益化出来るユーチューバーになりたいわ‼」といじってますw

そんなイジリOKの方は↓どうぞ^^;
 ※華声ですw

線引きは誰がするのか

@Cassyie.

先日NHKさんの「みんなでひきこもりラジオ」を聞いていて、少し思ったことがあります。
冒頭で概要としてはこんなご指摘のメッセージがあったと思います。

  • DJ(MCのことだと思います)のあなたはひきこもっていない
  • なのにこんな番組のDJをしているのはどうなのか?
  • もっと本を読んだりして、勉強した方が良い
私よりもご年配の方でしたし、番組へのご指摘なので私があれこれ言う権利はないことは100も承知なのですが、冒頭からあまり良い気分ではありませんでした。

おそらくその方も色んな苦労をされて、あるいは親切心でのご指摘だったのかもしれません。ですが「ひきこもり経験がないから、ひきこもりについて語る番組をやる資格がない」というのはどうなのだろう?と思いました。

経験がないからこそ、ひきこもりの方の気持ちに寄り添うべく、番組を通じて勉強していくことは良いことなのでは?

また、ひきこもり経験があってもなくても、苦しいことは皆さんそれなりにあるのでは?

何より家にこもっていなくても、たとえば学校や職場・家庭で孤立していて「こころのひきこもり」状態になっているけれど、それに気付かなかったりしている場合もあると思います。そこは本人が認めたくない場合でも、心の中で「この人もこの人なりに、色んな苦労があるんだろうな」と想像して察することが肝要かと思われます。

「ひきこもり」って誰が決めるの?

そもそも論ですが、ひきこもりは病気や症状名ではなく「状態」を示すものです。個人的には先述した通り「こころのひきこもり」状態もありますので、厚労省のガイドラインに関わらず「自分はひきこもりなのでは?」と思ったら、それがひきこもりだと言っても良いと思います。

私はネットを通じて色々発言しているせいなのかどうか分かりませんが、よく色んな方に「あなたはひきこもりではない」と言われます。そしてそのたびに「何故私のことをよく知らないあなたが決めるの?」と違和感を覚えます。
確かにご近所付き合いも出来ているし、ネット上に話せる人も居る。在宅とは言えども働いて収入もそれなりにあります。けれど私は未だに(HSS型)HSPのおかげで長時間外に出て働くことは出来ないし、1人で電車も怖くて乗れない。過去の傷も完全に癒えたとは言えません。
そういった背景を全て知って言うのなら問題ありません。
ですが実質、自分の経験や状態を一番知っているのは自分自身しか居ないと思います。

つまり、ひきこもりかどうかを決めるのは当人のみということになります。

ひきこもっていなかったら楽なのか?

私は逆だと思っています。
ひきこもりでも家族と同居しており、家族の理解が得られない場合は辛いでしょう。その状態は私も過去に経験しておりますので、十分理解出来ます。
ですが、それでもひきこもりにはある程度のテリトリーの確保が出来ていると思います。つまり1人になれる空間が狭くてもあり、短時間でも作れる。

ひきこもっていない人はどうなのでしょう?
私は社会人になり、それなりの労働経験を重ねてから職場の人間関係がきっかけでひきこもりになりました。私はたまたま運よく(?)ひきこもれる環境があったから、ひきこもれたのです。
でもそういった環境にない人は、ずっとストレスの場に居続けなければなりません。そういった方が最終的に追い詰められ、自死という選択肢しかない状態になるのではないでしょうか。

「苦しさ」に上下はない。

よくオンラインのひきこもり関係の場で「あなたはまだマシだ」「私はもっと辛い」と言い出す人が居ます。いわゆる「不幸自慢」です。

言いたくなる気持ちは分かります。「あなたに私の苦労が分かってたまるか」「私だってもっと辛いのに」下手をすると私も世の中の不幸を全て自分が負っているかのような気持ちになったことも何度もあります。

ですがその言葉は、きっと皆さんも思っているはず。

私に「あなたは全然苦労していないではないか」という方に逆に私から問いかけたくなります。

あなたは私の人生、どこからどこまで知っていますか?
私が死を覚悟した瞬間が何百回あったか知っていますか?
私の家族が身内だけの場だと、どんなことを私にして来たか知っていますか?

そして「あなたは全然苦労していない」「あなたはひきこもりではない」と言われた時、私がどれだけ傷ついているか分かりますか?

感情の線引き

相手の気持ちを察するのが難しい特性をお持ちの方がいるのは分かります。ですがそれを自覚しているのなら、まず「あなたはまだマシ」と言う前に「あなたが苦しいのは分かった。次は私の苦労している話をさせてもらっても良いですか?」と聞きましょう。

苦労や不幸は比較するものではありません。
他人の苦労話は他人の話、自分の苦労話は自分の話。ここは上手く線引きするのがベストかと思われます。
こうすると誰も嫌な気持ちにはなりませんよね。
(今はネガティブな話を聞きたくない!という方は別ですが^^;)

こういったことを積み重ねていくと、他人の感情に引っ張られることがなくなって来ます。他人の苦労話を聞いても「あぁ、この人も大変な思いをしたんだな」と余裕を持って聞けますし、不安なことを自分のものにしてしまうこともなくなります。

自然災害が起き、ずっとそのニュースばかり繰り返されていると、被害を受けていないのに気持ちが沈んで何も出来なくなることがあります。私もそんな時がありますが、そういう時は「でも私には関係ない」と思うことにしています。
ものすごく薄情で冷たい人間に思われるかもしれませんが、でも私が落ち込んでいて被災地の方が救われる訳でもないなら、それくらい割り切った方がましだと個人的に思います。
それでもマイナス感情が拭えない場合は、そういった情報から離れることをお勧めします。

「押し付け」は境界侵略

さて、冒頭のご意見ですが・・・「私ならどんな風に意見をしたか」と考えてみますと、たとえば「ひきこもり経験のないMC」に関しては「ひきこもり経験がないのに、どうしてこのような番組のMCを引き受けようと思ったのですか?」と、まず相手に聞くと思います。

「本を読んで勉強した方が良い」ということは、件の先輩はそういった本を読んで勉強されたのでしょう。ならばMCの経験とは別に「私はこんな本を読んで知見を広められたので、皆さんにもお勧めしたいです」という風に書いたでしょう。
「本を読め」と言葉でいうのは簡単ですが、私がガチでひきこもっていた期間はとてもではありませんが、本どころか文字を見るのも吐き気がしていましたので、いくら親切心でもそういった「押し付け」は出来ませんし、すべきではないでしょう。

自分にとっては良い物でも、相手によってはそうではない場合もあります。
自分には楽しいことでも、相手には不快になることもあります。

解決方法も勉強方法も、生き方も千差万別。自分のアドバイスや親切心ですら、相手には「選ぶ権利」や「拒否する権利」があります。
親切心でも、押し付けが過ぎると「余計なお節介」になりかねません。

こういった文章を書いていながら、私も「このブログ自体、余計なお節介だ!って人も居るんだろうな・・・」と思いつつ。

お互い、気をつけましょうね!

「OMORI」というゲームをやってみた。

 

ある日、友人から「ひきこもり系ホラーRPGとして、評判が高いOMORI(オモリ)っていうゲームがあるんだよ。きっとかっしーに向いてると思うから、やってみない?」と勧められました。

正直ホラーは苦手です。
小さい頃、遊園地のお化け屋敷で置き去りにされてから、トラウマレベルに。

ですが「ひきこもり」という謳い文句に妙に惹かれました。
ただ何となく思っていたのは「どうせ主人公がひきこもりで、でも仲間がいて、仲間のおかげでひきこもりを卒業する物語なんだろう」と安易に見ていました。
でも配信サイト・Steamで見たレビューは、ほとんど「ひきこもり」には触れておらず「レビューを見ずにやってみて欲しい」というのが圧倒的でした。


Steamからダウンロードして、恐る恐る起動させました。すると・・・

絵が、可愛すぎる・・・

ご覧の通り、絵がソフトタッチで柔らかく、とても可愛らしいのです。手描き風でシンプルながらも、どこか温かさを感じる。オモリだけ何故かモノクロなのですが、それもまた味になっているなと思いました。

この絵でどう「ホラー」な部分が展開していくのだろうか・・・?
そんな風にドキドキしていたら、いきなり来たのがホワイトスペースでの「刺す」という選択肢。

そしてやって来る、現実の世界。そこでやっと「ひきこもり」らしいサニーの世界が始まりました。

いきなりの「死」

私は初回、ケルが来た時に扉を開け、サニールートを選択しました。
そして現実パートが始まって直後、ハッキリ告げられた訳ではありませんが、町の人やケルの発言などから「姉・マリの死」を知ります。しかもそれからもう4年も経っているというのです。

そして1番ビックリしたのは、オーブリーちゃんがヤンキー化していたことでしょうかw
あ、ちなみに恥ずかしながら、私のサニーの名前は「かっしー」にしました^^;理由は「ひきこもっているから」「目が眠そうな所が似ているから」ですw

そしてオモリサイドでは人懐っこかったバジルくんは、何があったのか心配するくらい、ケルはともかくかっしーにまでビクビク・・・。
かっしーが3日後に引っ越すと聞き、動揺してトイレへ・・・ここで私は何となく「バジルくんはマリの死に関わっている」と直感しました。

恐怖を超えた、先にあるもの

かっしー=オモリには苦手な物がたくさんあります。

  1. 1人ぼっち
  2. 高い所
  3. クモ

ひきこもってるのに、1人ぼっちが嫌ってなんだそりゃ?!と最初思いました。
そして終盤、これらは全てマリとの思い出に結び付くことが分かります。

  1. 1人ぼっち→姉・マリが死んで居なくなったため。
  2. 高い所→マリの死の真相に絡む。
  3. クモ→溺れる直前、肩に大きなクモが居たため。
  4. 水→湖で溺れ、ひざが悪いマリに助けてもらった。
かっしーはオモリの世界でみんなに応援されながら、この怖い物を1つ1つ乗り越えていきます。

バジルくん犯人説

物語を進めていくにつれ、マリの死因が「自殺(首吊り)」はおかしい・・と思い始めました。みんなから慕われ、勉強もでき、ヒロという素敵な彼氏もいる。弟とも仲良し。唯一「真面目過ぎる」という長所にもつながる短所はあったようですが、マリが自殺する要素が見当たらないのです。
最初「なんでも出来るマリだからこそ、周囲のプレッシャーに押しつぶされちゃったのかな・・・(´・ω・`)」と思いましたが、それにしては不自然。だとしたらもっとかっしーママは落ち込んでいそうなものなのに。
そんな疑問を抱えながらプレイしていくと、バジルくんがかっしーに「かっしーくん・・・もう・・・逃げようがないのかな?」と病床から訴えて来るシーンがありました。

パッと見には「オーブリーちゃんからのいじめから逃れたい」ように思えたのですが、でも相手がオーブリーちゃんであれば逃げる事は可能だろうとすぐに考え直しました。それこそ、かっしーのようにひきこもっていれば会うこともないし、町中に変な噂を広められても、耳に入ることもない。

もしかするとバジルくんは、マリの死に絡んでいて、そこには何らかの罪があり、その罪から「逃げようがない」=真相を隠せなくなっているのでは、と思いました。つまり、バジルくん犯人説です。そう考えると、いくらオーブリーちゃんから不当な扱いを受けていても我慢しているのも、かっしーが引っ越すと聞いて焦ったのもつじつまが合います。

ただもしそうだとすると、バジルくんがかっしーにやたらビクビクしている態度を取っていることについては説明がつかなくなります。
ただ私はこのバジルくんのセリフで「マリちゃんは自殺していない」と確信しました。

「死」と「罪」に向き合うゲーム

(※以下、ネタバレを含みます。未プレイでマリちゃんの死の真相を知りたくない方はブラウザバックを!)

物語の終盤、バジルくんは再びかっしーに意味深な問いかけをします。「(不気味な影が)君にも見えているんでしょ・・・?」と。
ここでバジルくんは、かっしーに怯えていたのではなく、かっしーの後ろに見えている影=なにかに怯えているのだと分かりました。
やがてバジルくんは、どんどん狂乱的になっていき、かっしーに「1人にしないで」と助けを求めながらも「きっと大丈夫」という矛盾したセリフを繰り返していきます。

ブラックスペースではこれでもか!というほど、救いようのないバジルくんの姿を見せつけられ・・・ここで私の中のバジルくん犯人説は保留になりました。
夢の中でバジルくんの写真を拾い集めていき、やがてマリちゃんの死の真相にたどり着きます。それは一番「あり得る」と頭の中のどこかで思っていたのに、「いや、さすがにそれは残酷すぎる」と打ち消していた「主人公犯人説」でした。

正確にはかっしーはマリちゃんと揉めた時、うっかり突き落としてしまっただけです。写真の中でかっしーはマリをベッドまで運び、そこでうずくまっています。おそらく「そこまでするつもりはなかった」のでしょう。ですがマリちゃんはひざが悪く、踏ん張る力がなかったため、落ちてしまった。

そしてそこに居合わせたバジルくん。私は当初、バジルくんがたまたまそこに居合わせて、写真を撮ってしまったから首吊りの偽装に脅されて付き合わされているのかと思いました。
ですがバジルくんは夢の中のあの木の下でかっしーに謝っていました。

バジルくんの写真をよく見ると、マリのベッドの横で落胆していたかっしーの肩をバジルがつかみ、何か言い聞かせているかのような1枚があります。
つまり、マリの転落死を首吊りに偽装する提案をしたのは、バジルくん。

では何故そうしたのか。
まずバジルくんにとってかっしーは大切な親友であり、憧れの存在でもありました。「憧れ」なのは、夢の中(ヘッドスペース)のオモリへのセリフからも読み取れる箇所がいくつかあります。
そして「後ろの影」の存在。

姉のマリちゃんを慕っており、強いはずのかっしーが、そんな事をするはずがない。こんな怖いことをさせてしまったのは、かっしーではなく、かっしーの後ろにいる影であり、かっしーは操られているだけなのだ。
だから今度は自分がかっしーを救う番だ。

おそらくそんな風に彼は思ったのでしょう。
そして偽装を提案し、2人でマリの遺体を運び、バジルくんは呆然としているかっしーに代わって、マリの首に縄をかけます。
でもそれが間違いでした。だから謝っていたのです。

写真の最後は、吊られたマリの遺体を振り返り、その遺体から一つ目の影=「なにか」が飛び出し、かっしーたちに付きまとうようになりました。
この「なにか」をバジルくんたちはマリからの呪いだと思い込み、その呪いによってバジルくんは「逃げられない」と悟ったのでしょう。

でもバジルくんは思わぬ事態に陥ります。
かっしーの引っ越しです。
自分はかっしーのために偽装をし、マリの首に縄をかけたのに。そんな自分を置いていくのか。それは裏切りとも取れたでしょう。

一方かっしーはオモリの存在により、マリの死に徐々に立ち向かうようになりました。自分の罪を受け入れ、ずっと逃げ場所になっていたオモリを自分の中に消しこみ、最後は仲間を信じて全てを打ち明ける決断をします。
本編では語られませんが、かっしーは決してマリが嫌いになって突き落とした訳ではありません。
バジルくんのアルバムで、花冠をみんなで作る場面があります。その中で「ケルくんとオモリ(かっしー)くんは飽きて遊びに行っちゃった」という風なメモがあります。つまりかっしーも結構飽きっぽい性格みたいで、おそらくバイオリンの練習にどこかで飽きたのでしょう。
でもマリは真面目で完璧主義。そういう所がますます負担になり、かっしーは友達がお金を出し合ってプレゼントしてくれた、大事なバイオリンを壊してしまう。それを見てますますマリもカッとなってしまい、かっしーを厳しく叱責してしまう。
どちらもお互いの、あるいは周りの期待に応えたいという気持ちがあり、それが上手くかみ合わないが故のいらだちによる行為だったと言えます。

綺麗じゃないエンディング

かくして私はTrueEndを迎えました。

パッと見にはかっしーは自分の弱さを乗り越え、自分の罪を認め、バジルくんも救い出し、仲間にも真実を打ち明け、めでたしめでたし。

ですが、おそらくそうではないと思われます。
まずヒロたちが「君はここまで頑張った」「俺たちを信じてくれ」と語るのは、夢の中の世界の話です。現実にはそう簡単にマリの死の真相を受け入れることは出来ないでしょう。
ケルはある程度の所で「かっしーは悪くない」と受け入れそうな気はします。が、オーブリーちゃんとヒロくんは、きっとまた悩むでしょうね。

そしてバジルくん。彼もまた、信頼しているかっしーに「仲間をだまし続けた」という罪をも被せることになってしまい、罪の意識が消えることはないと思われます。

ここで私が気になったのは、かっしーの両親はどうなんだろう?という所。本編ではママが声だけで登場、お父さんと思わしき人物は夢の中の世界でマリが首吊りした木を「何故落ちないの・・・」とブツブツ繰り返しているシーンで出て来ます。
具体的に触れられた部分はないので、ここからは完全な私の推測ですが、おそらく両親は息子の罪を知っていたと思われます。かっしーパパはそれが理由で離婚もしくは家を出ている。ママはかっしーまでも失いたくがないために、過剰なまでに「愛してるよ」などのメッセージを頻繁に送っていたのかと思います。

ですが、かっしーが仲間に真相を打ち明けたことにより、両親もまた再び苦しむことになるのでしょう。

先を考えるとすごく苦しくて、決して綺麗じゃないエンディングでした。
でも綺麗ではない所が逆にリアリティがあり、人間の汚さとかずるさなども決して置き去りにしない、素晴らしいゲームだとも思わされました。
◆◇◆

病院に騙された・・・?

 更年期障害で産婦人科に通っています。

更年期障害は本当に色んな症状が日替わりで出たり、人によっては全く無症状で終わったりします。私もついに先日、めまいまで起こしてほぼ代表的な症例をフルコンプしてしまいました😅

エクオールが良いと聞き・・・。

前々から「更年期障害には、大豆イソフラボンから抽出したエクオールが良い」という噂は聞いていました。ただ今まではそこまで酷い症状はなかったので「ふーん、まぁ私には今の所そこまで必要じゃないかなぁ・・・」という感じで聞き流していました。

ですがこうなると、やはり少しでも効くなら頼りたい‼という気持ちになりまして。
この時私は家事をするのもしんどくて、母の所に居たのですが、外出も頭がフラフラしてしんどい状態が続いていたので、母に近くの薬局で小林製薬のエクオールを買って来てもらいました。

小林製薬というと、あの商品名が色々面白い製薬会社ですねw
でも今回の事で「命の母」の会社だと初めて知りました😲
製薬会社はよく知らない人でも「命の母」と言えば分かる人も多いのではないでしょうか。
その「命の母」は私も時々服用しています。飲んでて今まで変な症状が出た事はないですし、漢方薬や生薬を中心としているので、信頼おけるブランドだと思います✨

なので、私も最初は「命の母のエクオールを買って来て」と指定しました。

病院処方がある・・・❓

しばらくして地元に戻り、そこで一応大丈夫だとは思うのですが、エクオールの袋を持ってかかりつけの産婦人科医に「このエクオールを他の薬と一緒に飲んでも大丈夫か❓」という確認を取りました。もちろん私はリーゼ以外は当帰芍薬散と、エストラーナテープ(ホルモン補充パッチ)しかないので、OKとの事でした。

が、私が持っているエクオールを見た看護師さんが「うちでも取り扱いがありますよ」「市販薬は効果が薄いけど、病院処方のものはすごく効きます」「病院処方だから、保険適用ですし、安く済みますよ」と言われ・・・そうだったのか‼ならそっちにすれば良かったー💦となりました。
でも命の母のエクオールも買ったばかりで、もったいないので30日分飲みきったら、次は病院処方をお願いしますと伝えて帰りました。

現実は・・・

そしてしばらくすぎて、命の母のエクオールがなくなって来たし、エストラーナテープも切れそうだったので、産婦人科に行きました。

で、先生とお話をして院内処方で出してもらえる事に・・・と思ったら、私に院内処方のエクオールがあると教えてくれた看護師さんが小走りでやって来て「すみません、これ、一般業者の物を病院で扱ってるだけなので、ちょっと高額になるんですけど・・・」と。
「命の母の方は、何日分でお値段はどのくらいでしたか❓」と聞かれたのですが、私は正直値段は正確には把握してなかったのですが「30日分で2000円くらいだと思います」と伝えたら「う~ん・・・うちのは同じ30日分で4000円くらいかかるんですけど、ただ一般の薬よりは効果あると思うので・・・」

は・・・❓よ、よんせんえん・・・・❓❓

うん、いや、当然聞いてません。
でもその時、すごく体調も良くなかったし、迷いました。看護師さんがそこまで良いだろうと推すのなら、手持ちに4000円なくもないので、とりあえず30日試してみるべきか・・・。

結局、お試しでも出してもらう事にしました。

キツイっすよ💦

翌日から、まだ少し残っていた命の母のエクオールは一旦中断しました。何故なら両方の外装を見て、消費期限が新しいエクオール・・・正しくは大塚製薬の「S-エクエル」なのですが、そちらの方が消費期限が早かったからです。

封を破って、エクエルを1錠取り出してみて、驚きました。

←命の母のエクオール                 大塚製薬のエクエル→

エクエル・・・デカくね・・・・❓😅

これを1日4粒飲めという事らしいです。
でも見た所、大きさは命の母のエクオールとそんなに変わりませんよね❓
命の母のエクオールは、1日1粒です。

ふと思いました。
看護師さんが「よく効く」と言ったのは、もしかして・・・
本当は命の母のエクオール1粒とエクエル1粒にそれほど差はなくて、ただエクエルは4倍飲むからよく効くだけなんじゃ・・・・❓と。

試しにエクエルを1粒飲んでみました。
主成分はどちらもデンプンです。つまり小さいお芋を食べるのと同じ。結構お腹がいっぱいになりました😓というか、朝食の後に飲んだので、ちょっと苦しい状態に。
これをあと3つも飲むのは苦行でしかないと感じました。

で、母に報告します。

「1日朝晩2粒までで許して🙏」
すると母から「仕方ない、許してつかわそう。その代わり、もったいないから毎日ちゃんと飲みなさい」とメールが返って来ました。確かに・・・もったいない・・・。

もう次からは命の母の方に戻します💦


で、タイトルに「騙された・・・?」とは書きましたが、私は正直そこまでは思っていません。看護師さんの口ぶりだと、看護師さんも知らなかった様子だったので。
しかし故意ではなくとも、「病院処方」とか「保険適用で安く済む」とか、嘘ではないにしろ、不確定な情報をさも正しいかのように私に伝えた訳なので、そこは出来ればちゃんと謝って欲しいなと思いました。今度行った時、同じ看護師さんだったら少し追及してみようと思います。「一言だけ出来れば欲しかったんですけど」と。やわらかくねw若い可愛い看護師さんでしたから、優しく♥(顔差別w)

でも最初2000円損したー‼と思ったのですけど、1日の摂取量を半分にしたので、結果プラマイ0ですかね?・・・ですよね?!😅

ひきこもりの葛藤①

 


よく「ひきこもりって、ひきこもって居られるんだから良いね」と言われます。
確かに親のすねかじって、働きもせず、楽しているように見えるかもしれません。

ですが私の経験で言うと「苦悩と葛藤の毎日」です。

父親と365日バトル。

父は特に精神疾患への拒否反応が顕著でした。
「何故病院に行き、薬をもらっているのに良くならないのか❓」
そこが理解出来ません。そして
「本当に今のままで良くなるのか❓」
という事もよく言われました。

たとえ父と顔を合わせなくても、神経を擦り減らしていました。
父に会ったら、いつ説教されるか分からない。怒られるかもしれない。
丁度運悪く、その頃父は定年退職をしており、ほぼ家に居ましたwただ父はギャンブルを趣味として、たしなむ程度にやっており、また我が家はパチスロ屋さんが近い所にあったので、父がパチスロ屋に行っている時が唯一の安らぎの時でした☺

が、これがまた難しい。
私はその頃2階に自分の部屋があり、そこでひきこもっていました。
父は1階にいます。父が動き回ると、音で分かります。父が日中居る時、私は自分の部屋から出られません。父が寝静まる夜中まで待ち、夜中になったらそーっと音をなるべく立てないように1階に降り、トイレに行き(1日1回のみ)、台所に行ってお惣菜パンを1個(これが1日の食事内容)2階に持って上がって食べていたのです。
父が出掛ける時も、油断できませんでした。階段下から時々「出て来なさい」と、お説教のために呼び出される事があったからです。まず父が玄関から出て、車のエンジンをかけ、車が出て行って家の近くの角を曲がって音が遠ざかるまでは動けませんでした。
夜中に父がトイレに行く時も、思わずビクビクして耳を澄ませていました。

こんな状態でも羨まれるようなものなのか、逆に問いかけたいです。

「ひきこもっていること」への葛藤。

ひきこもりにとって、代表的にツライ世間の行事を時系列に沿ってまとめてみました。

1月1日 新年の挨拶(家族や親せきに会う→説教・「何してるの❓」攻撃)
1月3日 仕事始め(何も始められない自分を責める)
1月8日 新学期の始まり(同上)
2月14日 バレンタインなど関係なし
2月後半 受験や就職の話題が多くなる
3月1日 卒業式後の卒業生インタビューがまぶしい
3月後半 徐々に「就職」の話題が多くなり、世間からの圧を感じる
4月1日 社会人スタート(やはり自分は何もスタートしないので、落ち着かず)
4月後半 GWが始まると、街中に人出が増えて出られなくなる
5月後半~6月 梅雨の到来で、季節性うつなどに悩まされる
7月後半 夏休みスタート。再び街中に人が増え、閉じこもる
8月31日 自分の夏休みの宿題はいつ終わるのだろうか❓と悶々
9月1日 新学期の始まり(以下略)
10月~11月 修学旅行の話題が増える
12月24日 クリスマスって1人で過ごしちゃいけないの❓
12月後半 今年1年も、何も出来なかったなぁ・・・

ご覧頂ければ分かる通り、毎月何かしら悩んでます😅

世間が動くと「動けない自分は・・・」と葛藤している・・・それがひきこもりの実態です。

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次回、「日々」のレベルでの葛藤をお届けしようと思います。

②へ続く。

私なりの「戦争と平和」

 

今年もこの日がやって来ましたね。
1年に1度、戦争と平和について考える日です。

小学生の頃の私自身の話をしようと思います。

はじめての平和学習は「恐怖」だった。

小学校にあがって初めての8月6日の登校日。
まず教室に入ると、教室の壁一面にモノクロの写真が並べられていました。どれも人間とは思えない、皮膚が焼けただれ、酷い火傷を負った人の写真ばかり。
この日、初めて戦争というものを知りました。
クラスの女子の中には、怖くて泣いている子もいました。

でも、怖いだけではありませんでした。

他の行事


広島県民以外の方には馴染みがない方も多いと思いますが、原爆についての歌も割とたくさんあり、この日に合唱するために練習したりもします。
「同胞(はらから)の絶え間なき 労働に築きあぐ富と幸
 今は全て潰(つい)え去らん ああ許すまじ戦争を
 三度(みたび)許すまじ原爆を 我らの空に」
言葉が難しくて、ほとんど意味が分かりませんでした。でも今もこの歌の、この部分は覚えています。
他に「夾竹桃の歌」「青い空は青いままで」など歌っていました。今でもほとんどそらんじて歌えるものが多いです。

5年生になったら修学旅行で原爆資料館に行き、佐々木貞子さんの「平和の子の像」に折り鶴を捧げるので、折り方を教わって1人30枚ずつくらい折り紙が渡され、家族総出で折っていた事も思い出します。
祖父母の家に遊びに行く時も、折り紙を夏休みの宿題と一緒に持って行き、集まった親戚にも協力してもらっていました^^;

家族と戦争

平和学習が終わって家に帰ったら、家族とも戦争について話しました。

その時、初めて祖父が徴兵されて朝鮮に居た事もあると知りました。私は正直戦争は昔の事だと、どこか他人事のように思っていたので、身近に戦争に関わった人がいると聞いてショックでした。

祖父は身体が弱かったため、前線に出る事はなく、倉庫にある物資を帳簿に記録して管理する役割だったようです。時々ごまかして、食料を傷ついた兵隊さんに分けていたそう。
ただ前線に出られなかった事で本人はその事を恥じ、悔いており。かなり強い劣等感を感じていたようです。それが後年、私への偏った「英才教育」につながっていく訳ですが。。。

母方の方は田舎の稲作農家だったので、直接かかわりはないと思っていましたが、祖父の兄弟がほとんど兵隊として徴兵されたり、戦死している人もいる事も知りました。昔の写真を出されて見ると、胸に勲章を付けた兵隊の服を着た人の写真がずらりと並んでいて。写真を裏返して見ると、ほとんど「〇〇年〇月〇日、▲▲にて戦死」と書かれていました。

私の祖父は父方・母方とも私が小学校2年生にあがるまでに亡くなっています。
もしこの時、家族と話し合わなかったら祖父たちが戦争に関わっていた事を直接聞く機会はなかったでしょう。
その意味では貴重な日でした。

子供にとっての「戦争」

人生初めての平和学習は、そんな風に恐怖から始まりましたが、その後もしばらくそれは続きます。

翌日の朝、ラジオ体操に行ってからも、みんなで戦争について話し合していました。ご近所の大人も一緒にラジオ体操をするため、ご近所さんとも平和学習の内容について話し合ってみたり。

私が通っていた小学校では、夏休みには「分団プール」というのがありました。学区が東と西に分けられ、「東〇〇分団」「西■■分団」という風に区分けされていました。ちなみに私の家の周辺は「西3の2分団」。相当児童数が多かった事がうかがえますね。
この分団プールは、学校のプールを1時間ごとに分団を入れ替え、無料開放する夏休みの行事です。市民プールはお金がかかるため、無料でプールに入れる分団プールは子供たちにとってオアシスでした。監視につくPTAには負担だったかもしれませんが😓

平和学習の後しばらくは、この分団プールの行き帰りでも話題はやっぱり「戦争の怖さ」でした。
夏休みの登校日は投稿班はなかったと記憶しています。なので他の学年の子と夏休みの間に話せるのは、ラジオ体操と分団プールの間のみでした。もちろん上級生たちとも戦争についての話をします。

そして2学期が始まり、授業が始まってからも、授業中に飛行機の音が聞こえて来たら、クラスの誰か(大抵男子😅)が「B29なんじゃあ・・・」と言い出し、女子が怖がって騒いでいた事も思い出されます。

終わっていない戦争

そんな日々を過ごしながらも、私はしばらくの間、戦争は「過去の出来事」としてとらえていました。
そんな中「湾岸戦争」のニュースが飛び込んで来ます。
まだ戦争は終わっていなくて、広い世界のどこかではずっと戦争が続いていたのだと、その時初めて知りました。

小学校の時、授業中に「B29なんじゃあ・・・」と騒いでいた男子のように、授業中に飛行機の音がしたら「イラクに行く爆撃機なんじゃあ・・・」「もしそうだったら、間違ってここへ墜落したら・・・」と騒いだりもしていました。

みんなで「影送り」

平和学習は、なにも怖い思い出ばかりでもありません。
「ちいちゃんの影送り」という平和学習のための教材文書があります。

主人公は「ちいちゃん」。小さいから「ちいちゃん」。家族と一緒に手をつないで「影送り」をしていました。

この影送りというのは、真夏の雲1つない青空でないと出来ない遊びなのですが、まず影をじーっと見つめます。まばたきをしないように、10数えます。その後、そのまま空を見上げると、空に影が白く映る・・・という遊びです。

ある日、原爆でちいちゃんは家族を全員亡くします。天涯孤独になってしまったちいちゃん。その寂しさから、ちいちゃんは1人で影送りをします。すると空には、家族の影が映ります。手をつないで。そしてちいちゃんは「家族はいつもそばに居る」と寂しさをこらえ、強く生きようと誓う・・・そんな話でした。

私たちの間でも、しばらくこの「影送り」をして遊びました。先生も一緒になって校庭に出て、皆で手をつないで影送りをし、空を見上げていました。

やっぱりカープ!

私は祖父の代から3代続く、生粋のカープファンですw

別に祖父や父が好きだから、カープファンになった訳ではありません。気が付いたらカープファンでした。

そのカープは、戦後間もない、広島市民にとって娯楽も何もない頃に生まれた球団。いわば「復興の象徴」でした。食べ物もろくにまだなかったのに、なけなしのお金を寄付して球団の存続を訴える・・・そんな市民に愛された球団です。その寄付が後々、たる募金につながっていく訳ですが。

今は「ピースナイター」も開催されます。大抵地元ローカルのRCCが中継放送するのですが、この時地元紙の中国新聞のラテ欄(テレビ欄)は、ピースナイターの中継枠は毎年縦読みで「野球を楽しめる平和に感謝」といった内容の文章を作ります。

少し話は逸れますが、よくピースナイターの時に相手チームが勝つと「空気読めや」というファンが居ますが、これはもちろん解釈が違います。「カープを勝たせないといけない日」ではありません。「野球が出来る(見られる)平和に感謝」し、敵味方関係なくこの平和が続くように祈る日です。

平和について考える日

社会人になってからでしょうか。
「え?8月6日の登校日って、広島県内だけなの?!」と、衝撃を受けたのはw

そして広島県民でも8月6日には黙とうを捧げていても、8月9日が長崎の原爆の日だという事を知らない人もいると知りました。私は自分の誕生日だから覚えざるを得ないのですが^^;

1年中平和について考える人は居ないでしょう。でも、1年に1回くらいは平和について意識してみる機会だと思います。

今回のオリンピックでは、8時15分に黙とうはしないと聞き、がっかりしました。IOCが発表した理由だと「日本も戦争では、相手国に被害を与えている」「政治的な行事をスポーツに持ち込むべきではない」のだからだそうです。なんだ❓平和の祭典って。

けれど祈ること・平和について語ることは、個人の自由だと思います。IOCはそう言っていても、外国人が皆が皆、黙とうしない訳ではありません。心を痛めて一緒に祈ってくれる人も居ます。

私のTwitterのタイムライン上も、祈りの言葉に溢れています。

戦争がなくなりますように。
戦争で罪もなく死んだ方が、安らかに眠れますように。
コロナが早く収束し、平和な日常が戻りますように。

「しおりん」舞台裏制作話①