@Cassyie.
冒頭で概要としてはこんなご指摘のメッセージがあったと思います。
- DJ(MCのことだと思います)のあなたはひきこもっていない
- なのにこんな番組のDJをしているのはどうなのか?
- もっと本を読んだりして、勉強した方が良い
おそらくその方も色んな苦労をされて、あるいは親切心でのご指摘だったのかもしれません。ですが「ひきこもり経験がないから、ひきこもりについて語る番組をやる資格がない」というのはどうなのだろう?と思いました。
経験がないからこそ、ひきこもりの方の気持ちに寄り添うべく、番組を通じて勉強していくことは良いことなのでは?
また、ひきこもり経験があってもなくても、苦しいことは皆さんそれなりにあるのでは?
何より家にこもっていなくても、たとえば学校や職場・家庭で孤立していて「こころのひきこもり」状態になっているけれど、それに気付かなかったりしている場合もあると思います。そこは本人が認めたくない場合でも、心の中で「この人もこの人なりに、色んな苦労があるんだろうな」と想像して察することが肝要かと思われます。
「ひきこもり」って誰が決めるの?
そもそも論ですが、ひきこもりは病気や症状名ではなく「状態」を示すものです。個人的には先述した通り「こころのひきこもり」状態もありますので、厚労省のガイドラインに関わらず「自分はひきこもりなのでは?」と思ったら、それがひきこもりだと言っても良いと思います。
私はネットを通じて色々発言しているせいなのかどうか分かりませんが、よく色んな方に「あなたはひきこもりではない」と言われます。そしてそのたびに「何故私のことをよく知らないあなたが決めるの?」と違和感を覚えます。
確かにご近所付き合いも出来ているし、ネット上に話せる人も居る。在宅とは言えども働いて収入もそれなりにあります。けれど私は未だに(HSS型)HSPのおかげで長時間外に出て働くことは出来ないし、1人で電車も怖くて乗れない。過去の傷も完全に癒えたとは言えません。
確かにご近所付き合いも出来ているし、ネット上に話せる人も居る。在宅とは言えども働いて収入もそれなりにあります。けれど私は未だに(HSS型)HSPのおかげで長時間外に出て働くことは出来ないし、1人で電車も怖くて乗れない。過去の傷も完全に癒えたとは言えません。
そういった背景を全て知って言うのなら問題ありません。
ですが実質、自分の経験や状態を一番知っているのは自分自身しか居ないと思います。
つまり、ひきこもりかどうかを決めるのは当人のみということになります。
ひきこもっていなかったら楽なのか?
私は逆だと思っています。
ひきこもりでも家族と同居しており、家族の理解が得られない場合は辛いでしょう。その状態は私も過去に経験しておりますので、十分理解出来ます。
ですが、それでもひきこもりにはある程度のテリトリーの確保が出来ていると思います。つまり1人になれる空間が狭くてもあり、短時間でも作れる。
ひきこもっていない人はどうなのでしょう?
私は社会人になり、それなりの労働経験を重ねてから職場の人間関係がきっかけでひきこもりになりました。私はたまたま運よく(?)ひきこもれる環境があったから、ひきこもれたのです。
でもそういった環境にない人は、ずっとストレスの場に居続けなければなりません。そういった方が最終的に追い詰められ、自死という選択肢しかない状態になるのではないでしょうか。
「苦しさ」に上下はない。
よくオンラインのひきこもり関係の場で「あなたはまだマシだ」「私はもっと辛い」と言い出す人が居ます。いわゆる「不幸自慢」です。
言いたくなる気持ちは分かります。「あなたに私の苦労が分かってたまるか」「私だってもっと辛いのに」下手をすると私も世の中の不幸を全て自分が負っているかのような気持ちになったことも何度もあります。
ですがその言葉は、きっと皆さんも思っているはず。
私に「あなたは全然苦労していないではないか」という方に逆に私から問いかけたくなります。
あなたは私の人生、どこからどこまで知っていますか?
私が死を覚悟した瞬間が何百回あったか知っていますか?
私の家族が身内だけの場だと、どんなことを私にして来たか知っていますか?
そして「あなたは全然苦労していない」「あなたはひきこもりではない」と言われた時、私がどれだけ傷ついているか分かりますか?
感情の線引き
相手の気持ちを察するのが難しい特性をお持ちの方がいるのは分かります。ですがそれを自覚しているのなら、まず「あなたはまだマシ」と言う前に「あなたが苦しいのは分かった。次は私の苦労している話をさせてもらっても良いですか?」と聞きましょう。
苦労や不幸は比較するものではありません。
他人の苦労話は他人の話、自分の苦労話は自分の話。ここは上手く線引きするのがベストかと思われます。
こうすると誰も嫌な気持ちにはなりませんよね。
(今はネガティブな話を聞きたくない!という方は別ですが^^;)
こういったことを積み重ねていくと、他人の感情に引っ張られることがなくなって来ます。他人の苦労話を聞いても「あぁ、この人も大変な思いをしたんだな」と余裕を持って聞けますし、不安なことを自分のものにしてしまうこともなくなります。
自然災害が起き、ずっとそのニュースばかり繰り返されていると、被害を受けていないのに気持ちが沈んで何も出来なくなることがあります。私もそんな時がありますが、そういう時は「でも私には関係ない」と思うことにしています。
ものすごく薄情で冷たい人間に思われるかもしれませんが、でも私が落ち込んでいて被災地の方が救われる訳でもないなら、それくらい割り切った方がましだと個人的に思います。
それでもマイナス感情が拭えない場合は、そういった情報から離れることをお勧めします。
「押し付け」は境界侵略
さて、冒頭のご意見ですが・・・「私ならどんな風に意見をしたか」と考えてみますと、たとえば「ひきこもり経験のないMC」に関しては「ひきこもり経験がないのに、どうしてこのような番組のMCを引き受けようと思ったのですか?」と、まず相手に聞くと思います。
「本を読んで勉強した方が良い」ということは、件の先輩はそういった本を読んで勉強されたのでしょう。ならばMCの経験とは別に「私はこんな本を読んで知見を広められたので、皆さんにもお勧めしたいです」という風に書いたでしょう。
「本を読め」と言葉でいうのは簡単ですが、私がガチでひきこもっていた期間はとてもではありませんが、本どころか文字を見るのも吐き気がしていましたので、いくら親切心でもそういった「押し付け」は出来ませんし、すべきではないでしょう。
自分にとっては良い物でも、相手によってはそうではない場合もあります。
自分には楽しいことでも、相手には不快になることもあります。
解決方法も勉強方法も、生き方も千差万別。自分のアドバイスや親切心ですら、相手には「選ぶ権利」や「拒否する権利」があります。
親切心でも、押し付けが過ぎると「余計なお節介」になりかねません。
こういった文章を書いていながら、私も「このブログ自体、余計なお節介だ!って人も居るんだろうな・・・」と思いつつ。
お互い、気をつけましょうね!
