先日私はある失言をしました。その事についてある方から注意を受けたのですが、私は何故か自分が悪いと分かっていながら、なかなか謝罪の言葉を言えませんでした。謝罪はしていても、どこか言い訳をしていたり。最終的には謝罪をしたのですが、その言い訳があるからこそ「本当に理解はしてない」と思われたようです。
そこは私の本当に不徳の致す所であり、仕方ない事です。反省中。
何故、言い訳してしまったのか
周りの方からは「間違いは誰にでもある。その時に謝って、気を付ければ良い」など色々励まして頂いたものの、少し釈然としない部分がありました。
私が謝るだけで片付けて良いのか・・・
悪かったから、一方的に責めて良いのだろうか・・・
何故あんなにも私は意固地と言えるまで、言い訳していたのだろうか・・・
後者は私にだけではありません。私に注意をして下さった方は、他でも少しトラブルを起こし気味のようです。おっしゃる事は間違っていないのですが、言い方がどうもキツくて、なかなか受け入れてもらいがたい所があるようです。
そこでその方とのやり取りや、私が閲覧出来る限りで、その方が他の方とも揉め気味になっている文章等、読み返してみました。そこで気付いた事をまとめてみます。
ただ注意して頂きたいのは、これはその方だけでなく、私を含め誰もが陥りがちな現象であり、決して私の罪を棚上げしたものではない、と申し上げておきます。
ひきこもりの原点
少しだけ私の話をします。私は物心ついた頃から祖父に「女の子はこうあるべき」という理想を厳しく押し付けられ「年長者には逆らうな」「女は男に従うべき」という極めてその当時でも時代錯誤な「教育」を受けました。この「〇〇してはダメ」という強い否定により、私は祖父に恐怖感を覚え、祖父に対しては特に何も言えない幼少期を過ごしました。
その祖父の死後、今度は10歳くらいの時に身内から、いわゆる「性的虐待」を受けます。この時に相手が使っていた言葉も、強い否定の言葉がありました。「動くな」「お父さん・お母さんには絶対言ったらダメ」と。その相手は年上の男性であり、祖父ももちろん年上であったことから「年上の男性」に対する恐怖心がここでまた思い出すと同時に強まっていきます。
そして大人になってからは職場の男性上司であったり、ひきこもり始めた時は父との確執があったり・・・と色々重なり、いずれも強い否定を受け続け、ひきこもる事になります。男性ばかりではなかったのですが、男性の割合が強かったのは事実です。
ひきこもりの方同士でよくある話で、「〇〇してはダメ」という強い否定の言葉を受け、それがどんどん重なっていくと「〇〇はダメ」が次第に「自分がダメだから怒られるんだ」「自分はダメな人間なんだ」という状態に陥り、最終的に自分の存在意義を見失い、ひきこもる方が多いように見受けます。
これは私のようなHSP(私はHSS型ですが💦)以外でも、よく見かける現象かと思います。また「ひきこもり」と自認していなくても、同じように感じている方も多くいるかもしれません。
注意する相手にも、自尊心がある
悪い事はもちろん悪い。でもその注意の仕方で逆に相手を傷つける事もあると思います。強い否定の言葉でかえって相手が逆上したり、正常な判断力を見失う事もあるでしょう。
「悪い事を悪いと言って、何が悪いんだ」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。ですがそれによって追い詰められ、相手が精神を病んでしまい、果てに命を絶つ・・・こういう事も決してないとは言えません。こうなれば「そこまで追い詰めた方が悪い」と、途端に加害者側に転じてしまうでしょう。
正しい指摘をしているのに、言い方によって加害者にもなり得るのです。
言葉を言い換える
加害者にならないためには、どうしたら良いか。
言葉の言い換えがあれば、もう少しスムーズにいくと思います。「ダメ」ではなく「気を付けた方が良いよ」など。「ダメ」という言葉に限らず、色んな強い意味での否定の言葉があると思います。「〇〇すべき」は、逆に捉えればそれ以外の選択肢を認めない否定の言葉です。この場合は「〇〇も良いけど、私はこうした方が良いと思う」など。
こういう事は「クッション言葉」とも言われますね。
ワンクッション入れるだけで、印象がぐっと変わってきます。
注意された方も素直に自分の非を認める気になれるのではないでしょうか。
ただしこれは精神的余裕がないと難しいと思います。
なので無理にとは言いません。冷静になった時、私も「ああいう言い方はしなくても良かったのではないか」と思い直し、後から「あの時、言い過ぎてごめんなさい」はよく言います。こういったフォローの言葉も「言い換え」につながるものであり、有効かと思われます。
尊敬する人
私の以前の職場で、怒る時は本当に厳しかったけれど、そんなに嫌いではなかった上司がいます。その上司はご自分で言っておられました。「俺はキツイ事も言うけど、最後は笑って欲しい」と。
考えてみればその方、怒った後に必ず「お茶飲む?」と一息入れさせて下さったり、笑い話をして下さったり、ご自分の失敗談を聞かせて下さってました。
特にご自分の失敗談を笑い話として聞かされると「この人も完璧な人ではないんだな」と親近感が少し湧き、自分の悪かった所・指摘された部分を抵抗感なく受け入れられますし、怒られた後でも強い落ち込みはありませんでした。
私が見て来た中でも、好かれる上司さんは皆、何らかの「失敗談」を話しており、人間味を感じさせます。上司という立場でありながら、同じ目線になって下さる感じがするのです。
嫌われる上司さんは「そんな事も出来ないのか」とか「だからお前はダメなんだ」と否定の言葉ばかり。
失敗談を挟んだり、色んなフォローを入れるのもクッション言葉になっていると思われます。
今、感じていること
私に教えて下さった方も、色んな事が重なっていたのでしょう。だから私はその方を恨む気持ちはありません。むしろ「教えて下さってありがとうございます」と言いたいです。
そして同時に、私がここで述べたような事にもし気付かれるチャンスがあれば・・・いや、あって欲しいと願っています。その時は私には謝らなくてもいいです。普通に話しかけて下されば、それで十分です。大変な事を背負われているのは察しておりますので。
同時に、私も自分の失言も詫びねばなりませんが、ここに書いた事も気をつけねばならないと思います。「気が付いた時に書く」これは私の習性ですので、あえて書かせて頂きました。
完璧な人間はいませんし、私もまだまだ未熟者です。配慮が足りない部分があれば「こういう所、気を付けてね」とそっと優しく教えて下さるとありがたいです。
